■ 022 キーワードを検証して■ 

●動く・動かないか と、「動き」について

2022.12.記

 

芭蕉先生は、句の、「動く・動かない」

という考えを提唱されています。

ぶっちゃけ、この説明は、アタシは、現在(2022.12.)のところ、完全に理解できていないんです。

なので、アタシなりの説明は、今のところ、割愛させていただきます。

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似た言葉ですけれども、上の観点とは全く異なるキーワードとして、アタシは、絵の鑑賞のときや、俳句を作る時の表現で、「動きがあるかないか」

というコメントを良くします。

それは、この、芭蕉先生の「動く・動かない」と全く別な観点ですので、その説明を少しさせていただきます。

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絵画を鑑賞するときに、優れた絵画とは、どういう絵画かという説明をすると、良く理解できると思います。

良い絵というのは、「動いている」=「瞬間表現」なんですね。

例えば、どんな絵かといいますと、

敬愛する小村 雪岱(こむら せったい)先生の挿絵と、広重先生の浮世絵を参考にさせていただきます。

 

どちらの絵に動きを感じますか?

(雪岱先生の絵は、動きが特に美しく、皆さまも、絵は一杯、ネットに落ちていますからね。これ以外の絵とも、比較してみてくださいね)

一番下の、広重先生の梅屋敷の浮世絵は、まあ、十分に美しいですし、アニメ化はできますけど、雪岱先生の絵と比較すると、絵としての(心の)動きが少し弱いですよね。

一番上の金魚の絵は、女の子はじっとしていますが、金魚は動いています。この子は、金魚を見ながら、何を考えているんだろうって、絵に引き込まれますよね。

動きは大きいから良いということでもないんです。

そういう、微かな動きでも構わないので、俳句が、動いているかどうかというのを、私は、特に重視しています。情景描写に留まっているのか、この瞬間を、短い文字で、表現できているのか。

ここが、俳句が、俳句でないかを分ける岐路なんです。

私は、「瞬間表現」を「動き」と捉えてもいます。

色々な絵をご覧になるときに、「この絵には、動きがある・無い」とか、「瞬間を表現している、情景描写に留まっている」

という風にも鑑賞できます。

このような鑑賞を続けるだけでも、俳句とリンクして、物凄く理解が進んでくると思います。

(少なくとも、私は、俳句のキーワードをアートに当てはめることにより、【芸術とは何か】の理解が、一気に進んだと感じています。)

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動きは、大きければ良いというものでもなく、

雪岱先生の絵には、色気(エロいっす)とか、

日常生活のさりげない喜びとか、行き過ぎていない表現などが、本当に品よく作られていますよね。

行き過ぎていないことも大事なんです。

俳句は、誰かが読むことを前提に作られていますからね、品は必要なんです。

ミソクソじゃダメなんですよね。

その辺りもね、自分の品位を上げないと、絵も俳句も良くならないって世界みたいです。

他にも、小村 雪岱先生のお作品には、動きのある絵が多いですからね、是非、動きについて、読者様も、研究してみてください。

浮世絵は、動きのあることが普通ですのでね、図書館などで、豪華本を、沢山ご覧になって、動いているかどうか、どのように動きを表現しているのかをご参考になさってくださいね。

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もう一つ、有名なお作品があります。

福田平八郎先生の「雨」という作品です。

一見、屋根瓦を描いただけのように見えますけど、良く見ると、5−6粒、雨に濡れて、少し黒くなった、水玉の部分があるんですよ。

これから、ザーっと雨が降るという気配。

それが、この、静やかなる絵の中に描かれているということになります。

アタシは、この絵の紹介をテレビで見たときに、

「ああ、これは、瞬間表現であり、動きなのだ」

と理解できました。

そういう説明を受けないと、この絵に雨粒があることさえ気付かないで通り過ぎてしまいます。

そうして、ああ、俳句というのは、絵の瞬間表現というのは、こういうことなのだと、合点が行ったんです。

これを読まれている方に、理解できるかどうか判りませんけれどもね、理解できる日を信じて、前に進しかありません。

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絵が動いている・動いていないということが解れば、

俳句が動いているかどうかも解ります。

私は、この、俳句における、「動き」

を大切に思っています。

かすかでも、動いてないとさ、

心の動きでも、鳥の動きでも、風の動きでも、花の動きでも、そういう「光る表現」が良くできているなと思うものは、良い俳句と判断しています。

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歌詞を例えにしてみます、ユーミンの歌の「水曜日の午後」の歌詞の中に

【ソーダ水の中を貨物船が通る】

とかね

松田聖子さんの「瞳はダイアモンド」

の歌詞中の【幾千粒の雨の矢たち見上げながら】

という有名なフレーズがありますけれども、

この、ユニークで、美しい表現の中に、独自のキラリとしたものがあるから、記憶に残るんです。

歳時記に頼っていると、こういう、文章の独自性ということへの鍛錬や執着が削がれてしまうんです。

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歳時記を、否定しているという事ではないんですよ。

歳時記を開けば、知らない、美しい言葉、表現が沢山並んでいて、日本語というのは、素晴らしいな。

季節が多様ということは、財産だなと思います。

知らないボキャブラリーを増やすということも、俳句の醍醐味と思います。

知らない花の名を覚えたり、知らない動物の名前を覚えたりするのと、同じように、知性を感じます。

それはそれで、新しい語彙をコツコツ増やしてゆけば良いのです。

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文芸というのは、文章の芸術ですからね。

自分の表現を磨くことで、読んだ人を唸らせる内容になるべく、こちらも精進してゆかないとならないんです。

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難しい季語、読めない季語、一番お高い歳時記にしか載っていない季語をムリムリ使って俳句作ったつもりでも、誰にも読めなかったり、意味が解らなかったりしますよね。

アタシは、俳句のゴールは、そこじゃないと思ってるだけです。

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俳句が良くならないと、ご自分で感じる方は、他の芸術作品、表現、人が、何を面白いと感じるか、

そういう、もっと沢山の表現について、研究されることをオススメします。

俳句は【瞬間表現=動き】であり、【俳】なんです。

少ない文字数で、動きや感動表現を詠むことは、難しいです。

短くすればよいということではなく、自分が、どういう心情を、俳句として残したいのか。

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自分は、何のために俳句を作るのか

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ここを突き詰めて、俳句を進めなければなりません。

俳句は、動いていて、その動きが更に、面白くなければならないんです。

ご自身の俳句を推敲されるときには、そういう観点でも、ブラッシュアップをしてみてください。

 

アタシは、その表現の美しさや面白さに、必ず気づきます。

真面目過ぎて、ユーモアのセンスが無い方は、くだらないと思っても、漫才や落語、お笑い番組なんかもご覧になった方がいいですよ。大衆が、何を面白く感じているのかが解らなければ、一生俳句など詠めません。

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大量に俳句を作っている方は多いです。

そういう方の多くは、動きや感動表現・瞬間表現についての理解が欠如していることも多く、散文であったり、(写真などの)説明文だったりすることも多く、俳句に傾倒している分、残念に思うこともあります。

かといって、こちらが、何等かをご助言したくても、盲信の中、自分の慢心だけで突っ走ってしまうため、推敲をするときに、客観性に欠け、何十年も俳句が説明文という人も沢山いるんです。

個人的には、誰かに師事するなり、芭蕉とか子規の俳句を書写するなりして、勉強をすすめたり、ご自身で、【先達の俳句の何が優れていたのか】も、習得しなければ、良くならないのだと感じる事は多いです。

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私には、【それが駄句だと思えても】私がどんなに助言したとしても、本人が慢心の中にいるので、客観性に欠けていることで、救ってはあげられないのです。

ですから、アタシにストーカー行為までして、パスワード盗んでまで、私に俳句の添削を求めてきた方に対しても同情しかありません。

熱意は解りますけれどもね、行動が常軌を逸してしまいました。

その方の俳句以外の行き過ぎた行為が、他の方の怒りを買い、他の方の暴走が、私の私生活を辛いものにしている事実は重く受け止めてください。

リアルな嫌がらせについては、ご存じないかもしれませんね。

ネットの悪評が、私へのリアルな嫌がらせに発展し、悪い風評は町中に広がり、ネットでは友人にブロックされ、リアルな友人だった人からも無視され、町中で悪口を言われ、顔写真や、合成写真も流されました。

バイト先にも迷惑が沢山かかりました。

何の落ち度も無く、真面目に、一生懸命生きてきましたが、肩身を狭くして、今は、偽名で生活しなければならない人生に転落致しました。

冤罪なのに、犯罪者として生きなければならないという人の心情と似ています。

 

本来であれば罪を背負うのはアナタ方の方です。

私の心の傷も、アナタが巻き散らした悪評も、生涯消えることはないでしょう。

私の心の傷は深いです。

 

●「動き」「瞬間表現」のある俳句

開いてしづかに、ぽとりと落ちた

山頭火

 

音まで聞こえてきますよね。

動きは、激しいだけではなく、ほんの僅かでもいいんです。

山頭火が得意な、「自然のかすかなる動きの中に身を置いている」という情景描写が優れた俳句だと思います。

●「動き」「瞬間表現」のある俳句

『心をまとめる鉛筆とがらす』 放哉

何か、大きく、心が乱れる事が起きて、(多分、怒りだろうと思われる)自分を鎮めるためにひたすら鉛筆を削っているという静やかな動きと、激しい心の情動が、ぶつかっている句です。

●「動き」「瞬間表現」のある俳句

『ここに白髪を剃り落として去る』 山頭火

 

髪を剃っているシーンとかね、また次の場所に移るとか、そういう絵が浮かんできますよね。

何かと決別し、また、これから、辛い旅が始まるという決意の俳句です。

●「動き」「瞬間表現」のある俳句

『砂山赤い旗をたてて海へ見せる』放哉

この俳句を読めば、海が物凄く荒れていて、嵐かもしれなくて、そういう危険の中、強風を押して、旗を立て、船に知らせているという、危機感・緊張感、激しい動きが感じられる俳句だと思います。

海の人を助けなければという、強い使命感、心の強さも感じます。

自分も風に飛ばされそうだとか、危なかった、そういう動きのある映像が何秒も流れてゆきますね。

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