■ 021 キーワードを検証して■ 

●瞬間表現と心の情動

2022.12.記

 

色々教えて頂きましたけれども、

私にとっては、

俳句は、一言で示せば「瞬間表現と心の情動」です。

それは、物凄く大きな動きでもいいですし、ほんのかすかな、小さな、静かな動きでもいいんです。

下の、イラスト付きの有名俳句と、私の解説も、是非お読みになってみてくださいね。

これは、絵も同じなんですよ。

多少でも絵は動いていないとダメなんです。

(だから、アタシの絵は、ダメなんです。)

もしくは、何等かの感動表現であるとか、瞬間表現が現れていないとね、絵は残らないんです。

北斎の絵と他の浮世絵の違いはそこなんです。

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俳句というものは、心の情動を表す文芸(それも瞬間表現)です。

写実俳句であっても、自分の心や、動きなどが重なっていることが読み手にも解ればね、まあ、秀句という世界なのかもしれませんがね。

それは、こちらが、字ずらを読んだ時に、そこまで理解が及ぶかということにもかかっていますよね。

読解力も上げなければなりません。

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私は、写実の俳句を否定しているわけではないんです。

写実は写実であっても、風景の説明文ではなく、軽やかな動きであるとか、心情なども、俳句の中に盛り込む方が、ベターだという考えを持っているということになります。(先生の教えのウケウリですごめんなさい。キッパリ)

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正確に説明すると、私は、別に、俳句の伝道者ではないんです。

俳句は趣味なんですよね。

 

読んだ俳句や本も、ここに紹介されている、山頭火放哉顕信、それから、先生に紹介された、ワイワイ俳句BOOKぐらいしか、マジで読んだこと無いんですよ。

別に、俳句にそれほど傾倒しているということではないんです。

自分の人生かかってないんですよ。

アタシの人生には、絵しかないんです。

俳句は楽しく作っているんです。

どっかに投句したりもしないし、人の俳句を読んだりもしないんです。

自分の俳句を作るために、基本的なことを教えて頂いたという世界観を、まる暗記して、勝手に句作しているだけなんです。

なので、アナタの作品を添削するという立場にもおりません。

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とはいえ、自由律俳句には感謝しています。

私は、「俳句とは何か?」が解らなければ、「芸術とは何か?」も解る日は来なかったという気持ちです。

俳句の方が先でした。

瞬間表現や、心の情動、人間の喜怒哀楽、奇妙奇天烈奇想天外。【なぞなぞ】のような俳句もありました。

というようなね、【俳句の魔法】に触れる事が出来た事により、【芸術とは何か】も同時に理解出来た日があったのです。

教えて下さった師、その他の皆さまに、本当に心より、深く感謝申し上げます。

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そうしてね、多くの人が俳句を楽しんでいる令和。

SNSは(何でもアリなので除外しても)ともかく、俳句の雑誌なんかで、優秀句が、俳句でも無いこともある昨今はね、未来の俳句界が本当に心配です。

俳壇などで俳句を作られている方は、芭蕉がらみの本とか、子規がらみの本、その周辺まで、本当によく勉強されていて、頭が下がります。

沢山の俳句を見過ぎて、情報の取捨選択が出来なくなっているんだと思うことさえあります。

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自分に俳句を教え、導いてくれるのは、名句だけなんです。

 

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図書館の俳句の先生(「去来抄を読む」の講師先生)が、子規も晩年の俳句の評価が高い。

と話されていました。

要するに、子規が提唱した「絶対写実」よりも、「病症六尺」の方が、名句が多いというのが、俳句知識者の多くの見解ということのようです。

私的な理解では、子規も芭蕉の研究は、相当していましたからね。当時は、今よりも、(芭蕉の)肉声に近い関連資料も多く入手できたはずですしね。

 

俳句については、子規は、芭蕉の次ぎ位に理解できていたと類推してます。

そうして、芭蕉のいう、自分を詠むとか、リアリティ、感動表現など、潜在的な知識が、晩年(といっても、まだ若かったですが)、不治の病に侵されて、死を受け入れたときから、一気に、子規の俳句の中に(芭蕉の俳句の方向性が)盛り込まれるように昇華されたのではないか。

と考えています。

顕信の俳句も、入院してからの俳句は、闘病というリアリティや、心の情動、絶望的な心情がやはり俳句に自発的に出てきて、今に俳句が残った。そんな感じなのかなと感じます。

自然に、そうならざるを得ないというギリギリの精神状態なんですよ。

(注:俳句が残ったのは、両者の俳句が優れていたからで、病気になったからではありませんよ。念のため。)

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俳句という短い文を読んで、多少なりとも、瞬間表現とか、言葉のぶつかり合いとか、感動表現とか、動きが感じられないと、こっちも、読みたくありませんよね。

あはは。

(*゜▽゜*)ノ

周辺には、俳句の推敲に行き詰まり、困っていらっしゃる方ばかりなのでね、アタシなりに、出来る限り、丁寧に、優しく説明したつもりですが、不愉快だったら、御免なさいね。

名句から学び取り、自分の表現を模索するのが俳句ですからね、あとは、自分で作り進んでくださいね。

頑張ってください。

そして、楽しんでください。

俳句は、アナタの人生そのものなのですからね、大切に向き合い、そして、高みを目指してくださいね。

 

●瞬間を詠んでいる俳句

『焼かれる虫の香ひかんばしく』

山頭火

この句を読めば、

臭ってきますよね。

笑。

これが、瞬間表現であり、動きです。

あんまり嗅ぎたくないですけどね。

 

●瞬間を詠んでいる俳句

『つめたい風の耳二つかたくついている』 放哉

耳がくっつくっていう表現も、秀逸です。

この、寒くて、縮こまっている、自分。

寒さで、ミミがガチガチです。

そういう映像が脳裏に浮かんで、寒さが、シッカリと伝わってきます。

季語などなくても、この俳句が、厳しい冬に詠まれていることも解ります。

自由律俳句というのは、ある程度の季節感もあることがほとんどです。

●瞬間を詠んでいる俳句

『ハエを打ち蚊を打ち我を打つ』 山頭火

バチバチと、自分に止まってくるんです。長い時間風呂に入っていないのかもしれませんね。

厳しい旅路、野宿、身体から体外に放出される二酸化炭素。

普通に息をしている自然、山頭火は酒飲みですからね、虫も酒は大好物なんです。

風呂に長らく入っていないから、体臭が臭いのかもしれませんよね。

 

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こういう、動きや、瞬間的な表現を、俳句から学び取り、、さりげなく、自分の俳句に盛り込んでみてくださいね。

もちろん、目指すべきは、自分の表現です。

キラリとした一文を作るためにも、俳句を恒常的に作り進むことは、文の鍛錬につながっていると感じます。

●瞬間を詠んでいる俳句

『破れた靴がぱくぱく口をあけて今日も晴れる』放哉

新しい靴が買えないんです。修理する金もない。

雨降ると、水が靴の中に入ってきて、歩くと、気持ち悪いですからね、晴れてヨカッタ。

という心の叫び。

歩くと、パクパク音がするところまで聞こえてきますよね。

こういう、音であるとか、臭い、自分や、周囲の動き、それに伴う、自分の感情表現が伴っているから、この句が優れている。

という評価を、
私はしています。

 

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