しゃぼんだま あおいそら 
(ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

 

◆ 5906 ★ 利休蟄居 ◆

2022.3.11.

テレビ番組は、いよいよ佳境。

利休が秀吉に蟄居させられるシーンに入る。

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まあ、所説あるけれども、秀長(秀吉の弟)が他界し、今まで、秀長が担当していた部分まで、秀吉の支配が及ぶことになり、そうすると、力を持ちすぎていた利休が、邪魔になってきた。

という考えはあったと思う。

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利休は固い殻に包まれているようだった。

利休の「一期一会」という言葉の解釈に、一生一度の集まりだから、亭主の所作全部をシッカリ見ろ、亭主を「怖すべき」ものとして見よ。と記している。

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九州の統一も進み、これから、支配階級をもっとシッカリと示さなければならないという時代に入った。

官僚を取り立てて、戦国大名の力を削がなければ、自分が排斥されてしまうという不安もあったと思う。

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日本の統治、官僚政治の推進に、茶道に頼った情報戦略は、時代遅れという考えもあったと思う。

朝鮮出兵は、堺・博多商人にとって、メリットが無かった。

今まで長いこと、自分達が独占してきた貿易の利潤が、朝鮮が日本の支配下になれば、皆無となる可能性すらある。

ので、堺商人などの、朝鮮出兵に対する反対モードも、秀吉の逆鱗に触れたとも考えられている。

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信頼できる参謀を無くした国主の暴走ということになる。

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このほか、利休は、秀吉が嫌っていた黒楽茶碗で、秀吉に茶を点てて、逆鱗に触れたとか、周囲の大名に謝るように説得されたのに、その件で侘びを入れなかったなどの理由から、切腹を言い渡されてしまう。

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利休にしてみれば、「茶人としての矜持(きょうじ)があったのではないか」

譲れないものは譲れない。相手が誰であっても、茶室での主は自分である。という茶道に対する強い意志すら感じられる。

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利休めはとかく果報のものぞかし

菅しょう相(菅原道真公の事)になると思へば

利休辞世

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無実の罪で自害させられた道真公と同じ道を辿る自分について詠んでいる。

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ちょっとした心の行き違いも、孤独な国主には、反逆者になってしまうのだと思うと、上に立つ者の孤立ということは、哀しい現実だと思ったり、今、世界から孤立しつつある某国君主について思いをはせたりもする。

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番組では、切腹という、利休の最後について、その事が逆に歴史に刻まれ、利休の精神を際立たせたのではないかとまで話が飛躍してゆく。

秀吉は、利休が切腹した二年後、遺族に、彼の茶道具を返還し、今の三千家が誕生し、現在に至っている。

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利休は、茶道という世界で戦い続けていたとも言える。

毎月28日は、利休の月命日で、毎月日本各地で法要が行われている。

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利休が未完成で終わらせた茶道は、後世の者がその道を引き継ぐ形で継承され、今も続いていている。天寿をまっとうしていたら、お茶は残っていなかった可能性すらある。

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利休は予定調和を破る面白さを知っていた。

「一期は夢よただ狂え」

「今日は茶があった」(ので良い一日だった)

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コロナで「一味同心」の茶の回し飲みが出来ない時代、利休様が今生きていたら、どんな茶会になっていたのかを考えながら、新しい茶道に挑んでゆきたい。

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良い番組だった。(*゜▽゜*)ノ

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