しゃぼんだま あおいそら 
(ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

 

◆ 5696 ★ 唐物 ◆

2022.3.11.

まだ、茶の湯が確立していない室町時代、

当時の茶会では、目に鮮やかな、中国製の茶道具をめでながら、舶来品を手に入れる財力が、モノを言う世界だった。

しかし、こうした、唐物の銘品の多くは、信長が茶会を開いていた本能寺で消失。

後継者争いで混沌とした中、利休は、秀吉に目を留め、接近していった。

笑。

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茶会には雑談がつきものだからね。

そういう雑談の中の重要な情報を利休は上手く使いながら、政治を担う重鎮たちに接近。

また、平行して、魚籠を参考にした、籐を編み上げた籠花入れを作らせたり、お茶を点てる茶わんを長次郎に委託するなど新しい道具の開発を行う。

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楽茶碗

ろくろを使わず、手ずくねで作った茶碗で、低温で焼かれる。

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ここに至って初めて、日本の茶の湯のためにできた茶碗というのが、一から創造されたちゃをんができたわけですから、

道具あってのお茶から、お茶あっての道具になったという一つの分岐点に位置する茶碗とも言えるわけです。

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利休が、ちゃの湯を確立した

と言われているのは、この、「お茶あっての道具」

というものを創造し、広めたという部分なんだろうと思う。

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すなわち、この、日本のお茶のためのお茶碗、お道具の開発が「茶の湯」の世界を大きく変えていった。

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長次郎の茶碗に、お湯を入れます。

そうすると、厚手なこともあって、熱伝導が非常にゆっくりと優しく伝わる。

だから、手に持っても、そこまで厚くない。

人肌に包まれることによって身体と(茶碗が一体となり)同化する。

赤楽茶碗でお茶を飲んでいても、まるで手で直接お茶をすくって飲んでいるような、限りなく器の存在が無にかえる、主張しない。

(お茶の旨さが際立つ)

それが400年たってもなおその価値観というのが有効に機能していてある部分では、その時代の唐物をしのぐ価値観と生命力を持ってしまった。

by 武者小路千家 家元後嗣(こうし)の 千宗屋(せんそうおく)さん

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つまり、この、日本製の茶碗の誕生で、日本の茶の湯が産み出された。という理解ができる。

これは黄瀬戸のぐいのみ。

だろうと思われる。

笑。

金継しなくちゃ。

(*゜▽゜*)ノ

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