しゃぼんだま あおいそら 
(ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆ 5792 ★ 孤独 ◆

2022.2.15.

孤独感というものは、誰にでもある。

と私は思っている。

ある意味、ペットとか、テレビ、ゲームというものは、孤独を忘れさせてくれるツールでもある。

孤独について考える時間を短くしてくれるという効用なのかな。

孤独な中に生きた桃紅先生にも、書があってヨカッタと思う。

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私感では、

「孤独というものは、誰にでも平等に、同じ量だけあるもの」であるから、イチイチ口に出して、「淋しい、淋しい」

などと人に頼っていても、解決はしないのである。

どんなに幸せでも、孤独はある。

そういった人類の事情を全て呑み込んで、自分の孤独を人に押し付けたりせずに、相手を思いやり、ニコニコ過ごすことができることが、「大人になる」ということだろうと思っている。

例えば、手に職を持ち、経済的に自立できる努力をするとかさ。そういうことも、大人になるということだし、誰にも頼らず生きていけるということも、孤独から解放される一つの道なのである。

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無駄に淋しがり、孤独をふりかざし、男にタカって生きている女を見たことがあった。

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彼女は重度の躁うつ病を患っていて、7ねんもの間うつ状態で、外にも出られなかったのだという。

それが、急に躁状態に転じ、家族を捨て、飲み屋で男に金を出させたり、住む場所を提供させたりしながら、良くしてくれた人を裏切り続けて、転々とする人生となった。

アル中もあったと思うけれども。

私が「しないでくれ」と頼んだことは全てし、私を裏切った。

彼女に限らず、そういう行動を取る人は何人か知っていて、「よくしてくれる人の期待を裏切る事が人生の使命」となっているように感じられることすらあった。

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そう、ことごとく、こちらの要望や期待を裏切るという精神と、行動。

それで、あらゆる人に迷惑をかけながら生きて行くという人生。

最近は、こういう行動は、遺伝子レベルなんだろうと思えてきた。

例えば、性的欲求が強いというのは、遺伝子を残そうとする働き。

誰もかれとも揉めて、その場所から離れ、一人で生きるという、幸せと逆行する思考回路と人生の流れ。

幸せに生きる事よりも、金にだらしなく、人にタカりながら、何も上手くゆかないが、死にもしない人生である。

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ややや。

そうではない。

強すぎる支配欲の類なのかもしれない。

たとえば、店内でタバコを吸わないで。

と頼んだのに、煙草を吸い、新品のタタミに穴まで開けてしまう。

とかさ、

人の店で、人の店の酒を、断りもなく男を連れ込んで全部飲ませて、自分で金を受け取っていたりとかさ。

たぶん、男を連れ込んで、それ以上の関係もあったかもしれない。(それは、近所のママ連からの苦情により発覚)

まあ、普通じゃないよね。ご主人に暴力を振るわれて、生活保護が降りて、シェルターで避難している最中の出来事なんだからさ。汗。

アタシも、そのときには、躁うつ病の患者さんの症状の経験が浅かったからさ、まさか、その後、別な男を金ヅルに、疾走するとは思わなかったもんねー。汗。

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そんでもって、番号式のドアキーも、冷静さを失い、開けられなくなって、今度は、アタシのことをナジリ、それを近所中に言いふらして歩くという暴れぶり。

こちらは、無償で部屋や電車賃を提供してあげて、ご主人の暴力から避難されている不幸な女性を手助けしたかっただけなんだからさ。

病気と解っていても、女の行動は、許される範囲を超えていたと思う。

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今は、仏教の教えに、「悪い者と関わらない」という言葉があることを思い出し、関わらないという選択も、それはそれで、厳しい道だと思ったりもする。

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写真は、若き日の桃紅様。

家が金持ちなんだろうと思える。笑。

父親の遺言「満州子(桃紅先生の本名)は結婚するように」

はー。

死んでも折り合わないー。

(*゜▽゜*)ノ

 

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