しゃぼんだま あおいそら 
(ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆ 5664 ★ 丿貫(へちかん)様 ◆

2021.12.2.

元の記事

丿貫(へちかん、べちかん、生没年不詳)は、戦国時代後期から安土桃山時代にかけての伝説的な茶人。名の表記は、丿恒、丿観、別貫などとも。なお「丿(ヘツ、ヘチ)」は、カタカナの「ノ」ではなく、漢字である。

京都上京の商家坂本屋の出身とも、美濃の出とも言われる。一説に拠れば医師曲直瀬道三の姪婿だといい、武野紹鴎の門で茶を修めたという。山科の地に庵を構えて寓居し、数々の奇行をもって知られた。

久須見疎安の『茶話指月集』(1640年)によれば、天正15年(1587年)に豊臣秀吉が主催して行われた北野大茶湯の野点において、丿貫は直径一間半(約2.7メートル)の大きな朱塗りの大傘を立てて茶席を設け、人目を引いた。秀吉も大いに驚き喜び、以後丿貫は諸役免除の特権を賜ったという。

江戸時代中期に成立した藪内竹心の『源流茶話』によれば「丿貫は、侘びすきにて、しいて茶法にもかかはらず、器軸をも持たず、一向自適を趣とす」「異風なれ共、いさぎよき侘数奇なれば、時の茶人、交りをゆるし侍りしと也」と書かれており、当時盛行していた高額な茶器などは用いず、独自の茶道を追求していたようである。

同じく久須見疎安の『茶話指月集』には、丿貫が手取釜1つで雑炊も煮、茶の湯も沸かしたなど、清貧ぶりを伝えている。いっぽうで、当時の茶人・数寄者との交流もあり、特に千利休とは親交していたという。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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以上 引用転載終了

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へうげもの(アニメ)に出て来たな。

アタシは、へちかん様の茶点てが大好き。清貧で、高い茶道具にはこだわらず、茶を楽しんだ人物という印象。

へー。

師は、武野紹鴎で、利休と同じなんだ。

要するに、同門って話だよね。

茶の本質的なことが理解できていて、且つ、金儲けに走らなかった例ということだろうと思う。

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茶道は、今は、金持ちの道楽とか、お稽古道みたいになっているけれどもね、本質は違う。

【茶の湯とはただ湯をわかし茶をたててのむばかりなる事と知るべし。】

と利休様も残されている。

へちかん様は、その、本質や、禅の精神を追求した結果、「清貧茶」という道を開かれたのだと私は考えている。

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そうして、営業用の手紙を書きながら、どうせダメだろうなどと考えている自分が小さく、悲しくなってきた。

絵は、良くなれば、必ず光は当たる。

そこだけに執着すべきなのだろうと思う。

 

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