しゃぼんだま あおいそら 
(ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆ 5608 ★ 対話型人生 ◆

2021.11.2.

鑑真様の思いや苦難と比較すると、私の人生など、本当にゴミみたいなストーリーしかない。

この前、テレビで占いをしていて、私は、「対話」型人生なのだそう。

確かに、精神障害の人と、沢山対話をしてきたなと思う。

ギャラリーに来る人の中には、精神障がい者が多くいて、その事実は、正直、驚きしかない。

まあ、会話をすれば、小さな異常に気付くとか、大量の人と関わっているので、ちょっと極端な症例の人にも慣れているとか、症状を見分けることができるとか、理由は、色々あるんだけれどもね。

向こうは、私がどういう感情で接しているのかもわからないだろうし。(いつも閑談は盛り上がり、どうでも良い内容なのに爆笑モードなので)

もちろん、どちらにも悪意はない。

会話の最中に異常を見つけたとき、この人が、どうしたら、救われるのかを考えているという感じだと捉えてくれればいい。

私がカウンセリングの学校を出ているから、たいていの話は大丈夫だよと伝えると、自分から、自分が精神障がい者だと名乗る人も多くいて、そういう人は、延々と、自分の苦難の話を始めるのである。

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もちろん、健常な人も来るけれども、そういう人よりも、ちょっと問題を抱えている人の方が、強い印象があって、覚えていることは多い。

そうして、私は、普通に見える、問題を抱えるその人たちが、どうなれば、幸せになれるのかも考えなければならなくなるのである。

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カウンセリングの学校で習った話を書けば、

「病気というのは、後天的な問題ではない。自発的な問題なので、それは、誰のせいでもない」

ということである。

怪我というのは、自分の不注意、貰い事故などの、健康であったのに、怪我のため、不自由を余儀なくされた。

もしくは、もっと注意すれば避けられた。

というような時間経過であるのに対し、「病気」というのは、自発的に起きてしまうもので、自分の感情や注意深さとは関係なく、突然に起きてくるものなのだ。

特に、生活習慣病などとは違い、精神病であるとか、癌とか、もっと複雑で難しい病気とかは、自分がどんなに注意深く生きていても、突然に発症してしまうことがある。

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学校というのは、要点を的確に教えてくれるから助かるよ。

なので、怪我をした場合、それは、不遇といえるけど、病気の場合は、回避できない、人生の負の巡り合わせであると言える。

だから、それは、自分の容姿が人とは違うとか、背が低いとか、アタマがハゲているとか、毛深い。

などと同じ次元なのである。

自分のせいでもなければ、誰のせいでもない。あるとすれば、遺伝子の流れということになる。

考えても、自分ではどうにもできない話なのだ。

なので、そのことで、クヨクヨしても、問題は解決しない。

もし、病気を良くしたいと考えるのであれば、治療の薬を飲むとか、ドクターの指示に従って薬を飲むとか、体力を向上させるための運動をするとか、深酒をやめるとか、行動を改善するアクションと二人三脚で生きるしかないのだ。

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特に、躁うつ病など、暴力的な行為の衝動をコントロールできない病気の場合、飲酒しないとか、薬の調合を気分に併せて調整するとか、ドクターとも、家族とも、会社の同僚とも二人三脚で、事情を理解してもらう努力もしながら、極端な行動に走らないように、自分でも出来ること(薬を飲み続ける)をするしかないのである。

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薬の服用については、賛否あるけれども、私の考えは、現在は、現存する薬を飲むことによって、アドレナリンの量を一定に保つとか、重い心を少し軽くし、その状態を保ち続けるとか、薬に頼ることが最善だという知識しかない。

もし、病気を全快にしたいということであれば、農業とか酪農などに従事し、細かい仕事をしすぎないことなどをお勧めしたい。

都会の生活は複雑で、大げさな部分もある。そこまで細かい部分まで求めなくてもいいような気もするが、それは私が決める事ではない。

 

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