しゃぼんだま あおいそら 
(ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆ 5608 ★ 鑑真様 ◆

2021.11.2.

鑑真様は、中国の僧侶で、日本で仏門を広めるために、日本への渡航を試みましたが何度も失敗。

苦難を乗り越え、遣唐使船に乗り込み、日本上陸を果たし、日本に律宗や薬草の知識を普及させ、貧民救済などの活動もされました。

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以下、ネットの記事転載。

(元の記事)

鑑真(がんじん)は、唐(中国)にて生まれ、揚州・大明寺の住職でしたが、日本から唐に渡った僧侶らから、日本に来て戒律を伝えて欲しいと頼まれて、日本にやってきたと言う事になります。
744年に、唐から出航しますが、暴風雨に合い失敗。
このように、日本への渡航を企てること5回にも及ぶも果せず、6度目・10年目となる753年、日本から来た遣唐使船の帰りに鑑真は乗船し、沖縄から屋久島に到達し、ようやく来日を果たしました。
そして、大宰府に入ったあと754年に奈良・平城京に到着しています。
しかし、気候や激しい疲労などにより、このとき既に鑑真の両目は失明しており、日本の風景を見ることは叶いませんでした。
たくさんの苦難を乗り越えて、日本に来た鑑真を歓迎した孝謙天皇らは、東大寺に住まいを与え、急速に戒律制度が整備されて行きます。



戒律(かいりつ)と言うのは、仏教の修行者における日常生活規律のことを言います。
鑑真の律宗(りっしゅう)が伝えた四分律(しぶんりつ)が日本で代表的な教典となり、正式な僧侶になるために守るべき事項の標準となりました。


759年、新田部親王の旧宅地を下賜されて、現在の唐招提寺が建立されることになります。
鑑真は、薬草などの知識を日本にもたらし、貧民救済にも積極的に取り組んだと言います。
763年、鑑真は唐招提寺で死去。享年76歳
現在の唐招提寺に伝わる、鑑真の彫像が造られましたが、日本最古の肖像彫刻とされています。

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鑑真様のお話を読むたびに、スゴイなと思うことは、「日本に仏教(律教)を布教したいという強い思いにより、5回も失敗したが、諦めず、6回目で渡日に成功した。」

という事実です。

【志が、逆境を乗り越えた】ということが、やはり、感動の理由です。

そうして、日本に、学問、医学的な話などを仏教と共に伝えて下さった。

という知識の高さと、その内容だろうと思います。

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画像は、

トーハクに、鑑真和上様の肖像彫刻がおこしになり、拝見したときの感激の勢いで描いた油彩。

(*゜▽゜*)ノ

海を渡る鑑真様。

20分ぐらいで描いた絵だけど、自分なりには、傑作なんだよね。

なかなか、理解してくれる人がいないということを除けば順調だわー。

(*゜▽゜*)ノ

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