しゃぼんだま あおいそら 
(ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆ 4849 ★ 鈴木大拙さんの話 ◆

2020.11.22.

ノーベル賞を取った詩人の話。

「近頃の人は、無限に対する憧憬が足りない。

有限と無限との隔たりが、感心が、非常に薄くなっている。

そのことが、近代人の弊だろうと思います。」

********

それを定義に、宗教的な話に置き換えると、

我々は、有限の世界で、苦しい、自由にならん。という考えを持つ。

自由にならん、苦しいというところに、何か限られたもの(有限)を感じておる。

限られたものを感ずることが無限を感じる事につながっている。

そうでなければ、有限を苦しいとか、不満足と感じる理屈が無い。

有限というものの中におって、そういう感情を起すことは、すなわち、裏に無限があるからである。

その、無限に対する関心が欠けておる。

その、関心を持つことが、宗教である。

********

この説明が、宗教を定義するのに、解りやすいと、私は思う。

********

川柳「いつまでも 生きるつもりの顔ばかり。」

みんな、生きている、早く死んでしまう、病気になったなど、それに対して、不平を申す。【そういう事象こそが、生命そのものであり、無限に通じている。という自覚がないから、有限であることを大切にしない。】

その自覚をどうするのか、自分で持っているものを気が付かずにいるんだ。

**********

鈴木大拙さんの話。

********

難しい。笑。(*´Д`)

**********

何でもかんでも、科学で解消しようとしているけれども、それは、網で魚を救おうとしているようなものだ。

目の網が大きくても、細かくても、網には、穴がある。

人間のやることだから、限りがある。

人間が張る網にかかったものだけを研究するのが、科学である。

*********

なんとなく、高齢のヨボヨボ感は否めない映像であるが、肉声でプレゼンを聞けるというのは、テクノロジーのなせる業だよねー。(*゜▽゜*)ノ

難しくて、理解に時間がかかる。

及び、時間をかけても、理解できない部分がある。笑。

理解したように思えても、実は、本質的には理解できていない話を、理解させるというプロセスが、宗教なのだと、鈴木さんは語られた。

なるほど。

学問の一つなんだね。納得。

そういうことかー。なんとなく、ざっくり、世界のそれぞれの宗教を思い浮かべ、「それぞれの教え」を熱心にするあまり、揉めているという構図が理解できた。

本来であれば、「みんな仲良く世界を平和に」という目的のために存在すべきなんだろうと思うけどね。

宗教間でモメ続けている話を、信者予備軍が傍観して、信じないグループ(無神論者)が増加したとも考えられるよな。笑。

#おじゃらのブログ  #アート創作日記 #index #新作ART

#ojara #おじゃら #しゃぼんだまあおいそら 

#Art_works #kitasenju #art_diary 

1998- #Rica's_Bar WEB SITE & Since 2003-#Atelier_Ojara.

Copyright (C) 2020 All Rights Reserved by #Rica_Ojara_Manzana.

#おじゃら_りんご official website

 

-------