しゃぼんだま あおいそら
(ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆◆◆ 4686 ★ 茶筅の話 ◆◆◆

2020.10.8.

ついでなので、茶筅についても調べてみた。

インターネットって便利ねー。(*゜▽゜*)ノ

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生駒市高山竹林園さんのサイトがトップ表示。

なるほどー。

義政の時代、鷹山家(後に高山と改名)が支配する広大な竹林領土、

茶筅は、高山城主の次男宗砌が親友の村田珠光に依頼されて作ったのが始まりと伝えられている。

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村田珠光は、称名寺という寺の住職で当時流行の連歌、和歌、書道の達人として有名な人物で、現代では、一般的にわび茶の創設者とされています。

そんな珠光と宗砌は連歌や和歌を通じて親交が厚く珠光が初めて茶道を考案したときに

「茶道にふさわしく茶をまぜる道具の制作」を依頼され

宗砌が作りあげたのが、今の形の茶筌である。

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その後、珠光が京都へ移る。

時の帝、【後土御門天皇】が茶の湯の席で、宗砌が献上した自作の茶筌を鑑賞され、感激。
その繊細な作りを見てお褒めの言葉を頂くと同時に、その茶筌に高穂(たかほ)と命名。

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おおっ。ここでブランド力アップ。

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これに感激した宗砌は茶筌つくりに力を入れ、その製法を鷹山家の秘伝としました。


天皇から名前を頂いたため、高穂茶筌が有名になり、ここ鷹山村の名前や家名の鷹山を廃止し、高穂にちなんで高山と改名。


高山城がなくなった後も秘伝の茶筌制作、販売を許された家臣16名が秘伝としての言いつけを固く守り一子相伝の伎として、生まれて性を名乗る男子以外には、茶筌の制作を許すことはありませんでした。

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一子相伝の特殊技術で、独占販売していたということになる。

スゴイな。(*゜▽゜*)ノ

 

   

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