しゃぼんだま あおいそら
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◆◆◆ 4685 ★ 室町幕府と茶道 ◆◆◆
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2020.10.8. 今日は、室町幕府と茶道について調べてみる。 ****** 千利休 1522年 堺の商人の千与兵衛(せんのよへえ)の子として生誕。
1540年 武野紹鴎(たけのじょうおう)に茶の湯を学び、宗易(そうえき)を名のる。 1569年 堺の町が織田信長(に降伏する。 1570年 千宗易が織田信長の前で茶をたてる。 1582年 本能寺の変で織田信長が討たれる。 ********* なるほど。利休の爺さんは、義政の茶同朋。 そういうことかー。(*゜▽゜*)ノ 繋がった。 ********** 義政は、特に、美術品の収集に力を入れていて、銀閣寺も建立したけど、政治力を大きく下げてしまった将軍。 美意識が特に高かったと言われている人物。 義満が集めた美術品が、北山文化、 義政が集めたのが、東山文化と呼ばれ、併せて 「東山御物」という総称。 ********* 室町幕府が滅びた後も、大名たちは、この「東山御物」というコレクションを、こぞって集めたと言われている。 要するに、出どころがちゃんとしていて、美術品の目録や、略図の図録なんかも存在していて、御物を所有することが、大名のステータスだった。 ということだろう。 ****** この義政と、利休の爺さんは、道楽仲間。 茶同朋というのは、同朋衆の中の、茶の専門家ということになる。 同朋衆とは、美術品の学芸員だと思ってもらえればいい。 義政は、自分の収集品の価値を確かなものにするため、記録させ、価格表なんかも作らせていたらしい。 これが、日本における、政治ぐるみの、美術品錬金の元祖である。(と私は考えている) ********* 茶同朋の存在については、今日、初めて知ったけれども、合点はゆく。 中国からの輸入品には、当然に、茶葉とか、飲茶用の茶器類、それに関わる装飾品、飲み方、配置など、専門家チームにより、文化を楽しみ、盛り上げる役割を果たしたと類推できる。 ********* 義政は、手広いわー。(*゜▽゜*)ノ ********* そうすると、 義政と、利休の爺さん(田中千阿弥)は、主と学芸員という関係。 当時から、本業の「魚の塩漬け」を中心とした商いの他、茶の扱いもしていたと考えるべきだろう。 喫茶を流行らすことは、商売の繁栄ということになる。 |
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