しゃぼんだま あおいそら
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◆◆◆ 4597 ★ ビアズリー2 ◆◆◆ |
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2020.9.20. ファムファタール 「破滅へ」と向かわせる女性のこと。 ******* まあ、日本的な表現をすれば、下げマン? アタシも古いー。汗。(*゜▽゜*)ノ ********* オーブリー ビアズリーは、19世紀末、 イギリス南東部のプライトンに産まれる。 父親は、金銀細工の職人、母は、芸術に造形の深い音楽教師。 ピアズリーは、母親から音楽や文学など、芸術の素養を受け継ぐ。 どこか職人仕事を思わせる、緻密で装飾的なビアズリーの画風。 研ぎ澄まされた感性。 それは、彼の家庭環境が産み出したものかもしれない。 ******* 幼い頃から絵を描くことが好き。 彼にとっては、絵は楽しみの一つに過ぎなかった。 文学青年だった彼は、文学者として名をなすことを望んでいた。 その頃の教養が、文学作品の挿絵を描くときに役立っている。 ********* 成人したビアズリーは、事務員として働いていたが、ある時、 エドワード・バーン=ジョーンズという画家に、彼の作品を見せる機会があった。 彼は、当時のイギリスを代表する芸術家であった。 ジョーンズは、ビアズリーの絵を見て、衝撃を受け、絵の世界で生きる事を推奨。 ビアズリーは、働きながら夜間学校で芸術を学び、20歳で、職業画家としての第一歩を踏み出すのだった。 その後、パリと行き来しながらセンスを磨いてゆく。 パリで、耽美主義の巨匠ホイッスラーに出会う。 当初は、ビアズリーに対する印象は悪く、ホイッスラーは、作品を認めなかった。 その二年後、ポープの著書のための作品を見たホイッスラーは、余りの素晴らしさに、自分が、ビアズリーを認めなかった過去を謝罪し、和解するのだった。 敬愛する巨匠に認められ、更に躍進するかと思われたビアズリーだったが、病魔に倒れ、25歳で夭折してしまうのだった。 *********** 25歳かー。 もう、その5年間に、書くべき、一生分の絵を描いちゃったんだろうと思う。(*゜▽゜*)ノ 合掌。 |
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