しゃぼんだま あおいそら (ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆◆◆ 4085 ★ 山口蓬春(やまぐちほうしゅん)先生 ◆◆◆

2020.3.15.

山口蓬春(やまぐちほうしゅん)先生。

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葉山のアトリエ、一度お邪魔したことがある。

梅が沢山あって、

海近く、心癒える場所であった。

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父は、銀行員から脱サラ、戦具を扱う商売をスタート。

新しもの好きの父。

息子にも商人になってほしいと、ソロバンをさせるが、出来ず、1年経っても成績が上がらず、絵の道を許してくれた。

スッカリ諦めてからは、物分かりの良い父。

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22歳で東京美術学校へ。

その直前、父親は、商売に失敗し、神経を衰弱して、この世を去ってしまう。

在学中から、二科展に入選するなど、その才覚を表していった。当時は、洋行しないと、洋画家として成功できなかったが、資金的事情から、難しかった。
25歳で、西洋科を退学し、3か月後、日本画科に、一年から入学しなおして、その後、首席で卒業した。

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33歳、(大正15年)

三熊の野那智の御山

帝展 特選・帝国美術院賞 となり、皇室買い上げという名誉。
スゲー。(*゜▽゜*)ノ

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日本画に光や、陰影、西洋の技法などを取り入れ、自らの画風を築いてゆく。

蓬春は、若くして画壇に認められた、エリート画家であった。

ニュースなどで話題になった映画などは、すぐに見に行く、

あちらこちらにアンテナを張り、好奇心は旺盛。

葉山の美術館には、蓬春が集めた書籍が寄贈されている。

蓬春記念館にも、画家の人柄がわかる、日記帳や、
自分がいつ、どんな絵を描いたのかすぐにわかる、縮図帳などを記録していた。

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几帳面、真面目、勉強熱心。

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北海道で生まれ、東京で新しいものにも触れ、文化に対する幅が物凄く広い。
古今東西の美術のアーカイブを、若いうちから、蓬春は蓄積していった。
「今までになかった、新しい日本画を描きたい」

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戦争がはじまり、フジタなどとともに、従軍画家として戦地に赴いた。
敗戦し、「国やぶれて山河あり」
新しい日本画への挑戦は、再び始まった。

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蓬春モダニズム。
あのポップで、イラストみたいな日本画は、なんか、引き込まれたな。
日本画の展示もいくつも拝見しているけれども、
そういうものを越えていたと思う。
日本画は、先生の技法に引きずられて、新しい時代を迎えたのである。

 

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あの、イロイロな色を、抽象的に塗った上に、実在の線を墨で入れる作品なんかは、ちょっと、参考にして、新しい絵を作ってみようと思う。

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