■ 013 俳句作りのキーワード、検証■ 

●共感があるか

勘違いしないで欲しいのは、アタシは、『共感』について、どなたかに教えていただいたことはないということです。

アタシが、アタシなりに、俳句に触れて、感じたことです。

山頭火や放哉の俳句に触れると、共感句というのは沢山あります。

自然な俳句で、スっと、心の中に入ってきます。

『こういう俳句が詠めるようになると、イイなあ。』

自然にそう思います。普通の感覚だと思います。

長い間、人々に愛され続けてきた俳句には、『共感』も入っているのです。

しかし、初心者が気をつけなければならないのは、共感句と、いい句をごっちゃにしてしまう傾向があるということです。

俳句をきちんと理解していないので、『好き・嫌い』で俳句の良し悪しを判断してしまうのです。

インターネット上で行われている、投票型の句会なんかを覗きに行くと、共感句に投票が集中しています。

俳句として、もっと優れている作品があるにも関わらず、選び手のレベルがマチマチで、俳句をキチンと理解していない集まりの結果です。

俳句の投票というのは、多数決なんです。

これは、趣向としては、楽しいと思います。

みんなで集まって、ワイワイやる。これも俳句の楽しさの一つだからです。

しかし、投票された俳句を読めば、奇をてらった俳句には、票が集まらないという傾向は明確です。

自分の俳句が選ばれれば誰だって嬉しいものなのです。

入選するために、平凡で、共感ばかりを意識した俳句を作るようになってしまう人も出てきてしまっていると思います。

これでは、俳句を作る人も、読める人も育たないのです。

『共感』ということを考えたときに、私は、吹き寄せの凄さというのを、改めて感じました。

多数決で選ばれた共感句に流されずに、自分なりの視点、自分なりの表現、人とは違う視点を持った俳句を選ぶという、確固たる方針があるのです。

参加者の俳句を伸ばしたいという目的でスタートしたわけで、選者の視点で、独自性のあると思われる俳句だけを選び出しているのです。

『句会を開く』、『句会に参加する』というのは、モチロン、俳句に関わる方の人生の楽しみであり、交友の場であり、戦いの場でもあります。参加するなと言っているのではありません。

参加するときに、『自分の俳句』になっているのかどうかも、意識して参加しろと言っているのです。

誰だって、センセイ(選者・主催者)に誉められたい。一番票を集めたい。みんなの注目を集めたい。

『自分の俳句をイイと誉めて欲しい。』

多くの人と関わって俳句を作るようになると『句作』から離れて、媚びた俳句に流されてゆく人を多く見かけるから、そういうこともあるということを、理解して参加しろと言っているのです。

テレビの『俳句系サスペンス』でもそうでした。現実をよく表現していると、関心したものでした。

アナタがそうだとは言っていませんよ。念のため。

俳句を作るということは、本来、一人で行うものであり、到達点は、『自分の俳句を詠む』ということでなければならないのです。

ところが、時間が経ってくると、本来の俳句から離れ、『人に認められたい』ということが、俳句をやるということに、すり替わってきてしまうのです。

人間というのは、そんな中で、『入選したいという気持ちばかりの俳句』=『共感句』を作るようになってしまうのです。

これは、とても危険なことなのです。

もし、アナタが、自分の俳句をもっと磨きたいのであれば、『参加した人、誰でもが、投票できるシステム』の句会だけに参加するというのは間違っています。

『人間の情に流されて俳句を作っていないかどうか』を、チェックしながら参加しろと言っているのです。

選者は、きちんと俳句を読める人でなければなりません。

俳句を読める選者は、複数であるべきですが、もし、きちんと俳句を読める人が他にいないのであれば、一人で行うしかありません。

俳句を読める人というのは、俳句を沢山詠んでいる人と同じとは限りません。

『俳句とは、何なのか』を正しく理解している人でなければならないということです。

オジャラは、インターネットの俳句系サイトは、3-4箇所を回り、怖くなって帰ってきてしまいましたが、イロイロなアプローチがあるものなんですね。

『師がよければアナタの俳句がよくなる』なんて、間違いです。

自分の俳句なんだから、自分で、詠めるようになるしかないでしょう。

教えていただいている以上、師と違う俳句なんて、詠めるようにはならないのです。

センセイの中にはね、弟子の才能に気づいて、才能ある人の芽を摘んでしまおうという悪い人だっているんです。

自分より、弟子にイイ俳句詠まれたら、自分が誉めてもらえなくなってしまいますから。

思い出すだけでも、アタマがクラクラするサイトでしたけどね。はぁ。二度と行かないぜ。

まあいいか。

俳句はね、どんな形から入っても構わないのです。

気軽にね、とりあえず、ボチボチ、作ってゆきましょう。

でもね、アナタの俳句なんです。アナタが考えましょう。

センセイに誉めてもらおうなんていう気持ちで、俳句を作っているのであれば、それはさー、『センセイの為の俳句』であって、アナタの為の俳句じゃないんですよ。

ま、言っても解んない人もいるかもしれないっすよね。たははは。

アナタの俳句なんですから、アタシはどっちでもいいんっす。

アタシが言いたかったのは、『共感できる句』というのは、いいなあと思いますけど、俳句としていいかどうかは、別な話だと言っているのです。

そうして、もし、アナタが、自分の俳句をもっと、スキルアップしたかったら、『共感句スパイラル』から抜け出し、『独自の視点や、独自の表現も持て』と言っているのです。

なかなか、持てるものではありません。でも、目指すべきは、ここであり、『素人の多数決による入選』ではないということなのです。

『共感』も、『独自の視点』も備わっている句というのがないわけではありません。

でも、沢山作ったって、そんな句、なかなか作れるものでもありません。

でも、『句作』のときに、『共感されたいあまり、独自性を失っていないか』もチェックしながら作れ。

と言っているのです。

アタシ、エラそーっすかね?申し訳ないっすね。

そうっすよね。お前ももう少し考えてから、俳句を作れと、アナタも思っていることでしょう。

ですから、自分の俳句を作ることにします。おほほほほ。

アナタも、こんなところ読んでないで、自分でも作ってみたらどうですか?

●共感があるか

『たんぽぽちるやしきりにおもふ母の死のこと』山頭火

泣けるわぁ。

●共感があるか

『霜溶け鳥光る』 放哉

春っすね。

●共感があるか

『寝ころべば枯れ草の春匂ふ』 

山頭火

冬が寒ければ、春は誰だって嬉しいっす。

●共感があるか

『片っ方の耳にないしょ話しに来る』放哉

ないしょ話しにくるのは子供っす。

さりげない描写のなかに、瞬間や、可愛さが溢れています。

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