■ 008 俳句作りのキーワード、検証■ 

●リアリティ・観点をどう捉えるのか

なんか、このことにも触れたよなあ。

よく覚えてないので、今後アタシも勉強して、なるべく正確に理解し、コンテンツ、追加するようにします。こちらも理解できていないので、ぼんやりとしかご説明できないっす。

申し訳ないっす。

まあ、キーワードってことで、これも解る範囲で書いておきます。

俳句を詠んだときに、どんな環境にいたのかというのも、俳句を詠んだり、読んだりするときの、重要なキーになるということです。

そういうのは、句集の中で、前書きとして説明してあったりする事も多くて、句を読むヒントになると。

逆に、自分の俳句を詠むときにも、観点にも心を払えということだったと思います。

例えば、アタシの場合、バリ島に住んでいたときに、俳句を作っていましたから、『バリ島でしか作れない俳句』をもっと作るように勧められました。

バリ島には、独特の文化があり、その場にいることそのものが、観点なのだそうです。(理解間違っていたらごめんなさい。)

放哉の場合なら、たとえば、病気で若くして亡くなった話なんかを知っていれば、『病気系の俳句がでてきたら、彼自身のことなんだな』とか、ピンとくるとか、そういうことなのかもしれません。

彼が病気だと知らないで読むと、『病人って誰だよ、おい?』ということになりますから。

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追記、2020.11.

ここの所の感情では、俳句というのは、一行日記のような役割だと感じています。

実際に起きた話を俳句として記録する。そんな世界です。

鈴木 真砂女(すずき まさじょ)さんの俳句とか、正岡子規の晩年の俳句なんかは、リアリティあるなーと思います。
病気と闘う辛い現実、道ならぬ恋、そういう実体験が、俳句のリアリティなんだろうと思います。風景描写だけの散文俳句もどきから、一歩踏み込んで、ご自分の内心を俳句にしてみるといいですよ。

●観点って何よ?

『影もぼそぼそ夜ふけのわたしがたべてゐる』山頭火

この句、何だろうと思いますよね。

夜更けにボソボソ食べているんです。

でもね、山頭火が乞食僧と呼ばれ、日本を旅して歩いた俳人だと知ればどうっすか?

腹が減って、何か、畑の恵みを失敬しているんじゃないかと、アタシは、想像したわけです。

ボソボソ食べるというのは、キュウリかなと。トマトなら、ガブリだし、スイカなら丸ごとだし、ナスは生だとマズイから食べないと思ったんです。

なんとなくね。

●観点って何よ?

『切られる花を病人見ている』 放哉

この病人って、誰だよ。おい。

と考えるとき、放哉は、病気で早くして亡くなったという、ことを知っていれば、(観点)があれば、この病人は、『本人のことかなあ。』

と推測したり出来ます。

まあね、本人じゃないわけで、そんなこと、推測したから事実が判明するってことじゃないんですよ。念のため。

フトンに横たわって、ナナメに見ているんだろうって、アタシは思ったんです。

だからね、この花は、上の方が切れているんです。

もし、放哉自身のことを詠んでいるのだとしたら、花瓶がずっと下に来て、こんなアングルだったんじゃないかって想像して。

●観点って何よ?

『年とれば故郷こひしい 

つくつくぼうし』 山頭火

どうっすか?

彼は、ふるさとを離れて、果てしなく放浪生活を続けていたのです。

アタシもね、バリ島に住んでいたから、この句には、共感持てますね。

いい句っす。

●観点って何よ?

『病人花活けるほどになりし』 放哉

元気になってきたっす。

もう、死ぬかと思っていたとすれば、

花も活けれれる程回復した嬉しさっていうのも、感じますよね。(感動が入っているってことっす。)

俳句には流れもあるのかぁ。なるほどぉ。

観点ってこういうことなんだろうか?と、ぼんやりと考えるオジャラっす。

アナタも、頷いてばかりいないで、自分でも考えたらどうっすかね?

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