◆◆◆ 1698 ★ とある収集家と名乗る男の話など ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2012.5.13.

その男は、ときどきやってきては、他の画廊のパンフレットなどを大量に置いていくのである。

それから、バッグに入れて持ち歩いている自分のコレクションだとかいって、大きなかばんから、イロイロなものを出してはアタシに見せるのである。

今日見せられたのは、イルカのグラス、

それから、昔の小さい麦茶なんかを飲むガラス製の茶碗を一個くれた。

アタシは本当に断りたかったが、彼には悪気が無いばかりか、良いものをアタシにあげているという気持ちでイッパイなのである。

だから、気持ちよくもらってあげるのが、優しさというものである。

だから又来ちゃうんだけどね。

それから、電池で光るコマや、キラキラ光るシールなんかを見せてくれる。純金入りの梅昆布茶2コもくれる。

以前、彼は、よくパンを持ち歩いていた。いつも賞味期限切れのパンをアタシにくれるのだ。

梅昆布茶もどうせ賞味期限切れに決まっている。

アタシはニコニコとそれらを頂いて、そっと捨てるのだ。

それから、その男は、小さい、ケータイストラップみたいなものを沢山出してきて、これは、地震の被災地に送るために集めているおもちゃだといって、イロイロな品を見せてくれた。

そういう理由で集めて回っているのであれば、私も協力すると言って、アタシの作品を二階から一階に持ってくる。

透明な容器に入った、その類の品がギッシリと入った作品たちをである。

そんでもって、フタを開いて、中のモノ(主にその筋の品を集めて歩いているY田さんがくれたものがほとんど。アタシが拾ったものもある)

それらの中で、キティとか、ティガー、ティガーの友達のスカンクのような品、ミッキーなんかの、比較的汚れていない品を並べてゆく。

オジャラ「あんまりバッチィのは、最近の子供は喜ばないからね。」

アタシはそう言って、それなりに嬉しい品を10個ぐらい並べると、その男は、それらをワシつかみにして、自分の袋に入れる。

ホントは自分が欲しかったんじゃないかって思うようなスピードで、そそくさと帰っていった。

アタシの知人の中では最も高齢の類のその男は、コレクターだと言いながら、私のところで何一つ買ったこともない。

古い民芸品や何かを数千個から数万個は持っていると思われる。

彼曰く、今は自分のコレクションの処分をすることが大変だから、買うことはできないのだそうだ。

今回は、絵を見てもゆかなかった。耳も遠くなってきたし、話が聞こえないから、会話にならないし、

もう、ボケちゃったんだろうか。

と思えなくもない。

それでも、ウチのギャラリーのことは覚えていて、(私が不在であったとしても)ときどき立ち寄った痕跡を残して帰ってゆく。

老いというものの闇を見つめながら、物質への執着心というものは、年を重ねるとむき出しになるものなのだと思ったりもする。

ギャラリーは、アタシにとっての精神修行の場に違いない。

別な知人は、アタシにいつも名刺を頼んでくれるのだが、これまた大変なのだ。

年金暮らしの彼女は、買い物依存のため私は、いつも格安で彼女の名刺を作ってあげているのだが、色が悪いなどと怒鳴り散らされたこともある。

オジャラ「あのさー、こちらもお安く請け負っているんだからね、怒鳴られて嫌な思いをする代金まで入ってないんだよ。」

全くもって、何でも気に入るということもなく、いつも文句を並べている人生こそがついていないと学ばされる。

そうして、今度の名刺には、会員でもないのに、画壇の会員だと書いてくれなどとアタシに頼むのである。(ホントウは準会員)

準会員だって立派だし、知名度の高い画壇でもないのに、ウソをつくこともないとアタシは思う。

何故、今更、よく見られようとするのかは、よく分からない。

彼女は、50年も前に取った英語の資格も名刺に載せてくれと頼んでくる。アタシは、「たいして話せるワケでもないのに、50年前の資格を名刺に書くのは恥ずかしいよ」

そう言って、それはやめるように伝える。

英語が話せるなどと名刺に書いてあれば、英語で話しかける日本人だっていないわけではないのだ。

そうして、老いというものと、人間の感情、物欲や見栄、について考える時間を与えてくれた彼らに感謝をするのである。

精神を鍛えるチャンスというのは、そう簡単にはやってこない。

ギャラリーにいるというだけで、精神が磨かれるというのは驚きに値する。

イヤまあ、磨かれているのかどうかは分からない。

ただ、ここにやってくる人の中には、全く絵を見ない人たちも沢山いる。

ホントウに来ないで欲しいと思う。

ウチはギャラリーなのであり、それ以外の場所ではないからだ。

最低でも絵を見たい、よければ絵を買いたいという理由から来店するのでなければ、来ないほうがマシである。

ただ、何度も何度もやってくるその人たちには、ここに来る、なんらかの事情とか、精神状態があるのだろうとアタシは思うことにして、また笑顔で向かえ入れるのである。

そこが、一番精神力を鍛えられるよね。

うん。

おじゃら画廊

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