◆◆◆ 1672 ★ ゴヤ展 他 ◆◆◆

おじゃらのグルメ放浪記はじまりました。

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2011.10.?

竜さんが、チケットをもらったというので、本日は美術館めぐり。

ゴヤ→「モダン・アート,アメリカン ―珠玉のフィリップス・コレクション―」展

→JCAC展(屋外彫刻)→日展(サテライト)を見る。

ゴヤ圧勝。

さすがに、プラド美術館に、「ゴヤの部屋」があるぐらいのレベル。しかも、100年以上もゴヤ研究をしてきましたという学芸の皆様の作り上げてきた、作品の解説というのもスゴイ。

(アタシの類推だけど)

図録には、版画や素描などの小品にも解説が丁寧にしてあり、ゴヤの部屋学芸の皆様の研究を、今回、頑張って翻訳した日本の学芸の方がいらっしゃり、結実した結果。

というちからの入り具合。あの図録2300円というのはお安いと思う。

そんでもって、竜さんに購入をすすめたが、竜さんは、アタシが持っている、ロス・カプリチョスの日本語訳のついた3360円の本を買ったのには驚いた。

図録は、字が小さすぎて、どうせ読まないだろうという理由である。

このあと、アメリカンに行くが、あくびの連鎖が会場中を包むという内容。

まあ、印象派のパクリ的作品をアメリカ人が描きましたみたいな作品群のコレクションだからね。

歴史的な価値はあると思うし、好きな人は好きだとおもうけど、先だっての、パリの印象派の作品の方が、ずっと動きがあってステキだった。

パクリには、画家が志を持ち、新しい絵画の歴史を作ろうというような魂が入り込まないんだろう。

絵というのは、画家が自発的に描かずにはいられないものであり、パクリというのは、才の無いひとがやむなく、画題が浮かばないので、有名絵画を盗用するという話がホトンドである。

まあ、意思を持ち、有名作品のパロディーなどで集客しようという、別な目的を持って作っている人もいるからね。

それは、別段悪いことではないと思う。

庶民は名画が好きなのである。

こちらは、この前落札した小唄のレコード画像です。

あの、ロス・カプリチョスの寓意というのは、参考になる。

あらゆる画家が、画題をどうしようかとか、謎をどうしようかと考えているわけではない。

が、見るほうは、圧倒的に謎が好き。

そういうことになる。

江戸時代の庶民も、「奇妙奇天烈・奇想天外」という言葉を好んだと、テレビでナレーションの人が語っていた。

アタシは、そのときに、この、「奇妙奇天烈・奇想天外」という言葉こそ、コンテンポラリーアートにピッタリだと思ったのだ。

面白いものが好き。

それは、自分の想像や現実をはるかに超えるものでなければならない。

作品を作るということは、見る人を、そういう、現実ではない世界に誘うことであり、人の心を動かすものは、絵の上手さだけではないということになる。

ダビンチの絵だって、北斎の絵だって謎が潜んでいる(とテレビの人は言っている)

オットは、「この解説はホントのことなのかよ?」

と、アタシに質問してくるから、アタシは、「そのなの、でっちあげに決まってるじゃないよ。何を意図して、その絵を描いたのかを完全に説明できるのは、本人だけだよ。」

と答える。

いやまあ、謎めいた絵というのは確かにあるし、そういう絵は、収集家に大切にされやすい。

たとえば、茶会のことを思い浮かべて欲しい。

会ったことも無い人、大して知りもしない人と楽しい時間を過ごすには、目の前にある茶道具や掛け軸、花器なんかの話で時間をつなぐのが、最も無難である。

そうでなければ、他人の悪口だとか、陰謀とか、噂話なんかに終始するのが人間というものだ。

そういう理由から、誰がどんな風に作ったとか、どんなえらい人からもらった褒美だとか、そういう箔が作品についていることが前提ということになる。

箔は、箱書きとなり、箱は何重にも重ねられ、人の手を転々としたとしても、壊れたりもしない。

大切にするということはそういうことであり、絵画というのは、茶碗よりも相当頑丈な場合が多い。

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