◆◆◆ 1662 ★ 辻井伸行 ・ 柚木沙弥郎 ◆◆◆
インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)
2011.9.30 テレビ番組を消化中。 辻井伸行さんは、全盲のピアニスト。 産まれたときから全盲だったのだそうで、何も見たことがないというのは、どんな人生だろうと、アタシは考えずにはいられなかった。 1歳になる前から、小さなピアノを弾くようになり、母が歌うと、その歌を、鍵盤で弾くことができたのだそうだ。 親がその才能に気づき、音楽の道一筋。 六歳で、作曲もするようになったのだという。 辻井さんは、旅行などに行き、旅先での風や波の音、匂いなど、全てが音楽に聞こえるのだという。 アナゴのてんぷらは、「◎」の音です。的なね。 他のてんぷらは、他の音なんだそう。 そういう、脳の構造も、面倒だよね。 なんかのサスペンスで、人を殺しに行くシーンで、水槽の雑音に絶えられなかった犯人が、水槽のポンプのスイッチを切ってしまい、犯行がバレてしまったというストーリーのことを思い出していた。 とりあえず、才能は、才能だ。 たけしさんが、辻井さんのレコード収録のところに立ち入ったときの話。 関係の音楽家の方々が、同じ曲を2回演奏して、良いところをつなぎ合わせるなどという話をして、もう一度辻井さんに弾くように促したとき、たけしさんは、 「好きなように、思い切り弾かせてやれよ」 と一言カツを入れる。 そうして、辻井さんは、ピアノまでの廊下で、たけしさんに、嬉しかったと礼を言い、もう一度、思い切り、その曲を弾いたら、物凄く出来がヨカッタ。 そういう映像が流れていた。 好きなように思い切り弾く。 有名になると、たったそれだけのことも、自由にできなくなるのだと思うと、それはそれでついていないと思ったり、 自由度という点では、誰にも拘束されることのないアタシは、なんて幸せなんだろうと思ったりもする。 |
|
辻井さんは、津軽海峡冬景色を、自分で歌いながら演奏していた。楽しそうだった。 カラオケ代がかからなくていいよな。 音楽家の才というのは、いくつかの条件が必要である。 たとえば、一度作った曲を、正確に再現できるという、記憶力。 役者さんなんかでもそうだと思うんだけど、この、正確に再現するという能力は、別な才だとアタシは思う。 凡な人には、楽譜というアンチヨコがある。 楽譜どおりに弾けばよい。 だが、目が見えないのだから、楽譜に頼るということはできないのだ。 桑田圭介さんは、若い頃譜面が作れなくて、原ぼう(奥さん)が、せっせと彼が口ずさんだ音を、音符に記録したという話を聞いたことがある。 まあ、そういうパートナーが近くにいたというのは、運である。 今は、自分でも音符は書けるらしいと、何かできいたことがある。 どちらでもいい話だが、音楽には、作るという才能と、記録するという物理的な事情、そうして、残された音符を、音符どおりに弾くという才のどれもが必要になる。 アタシは、小さい頃ピアノを習っていたので、自分の音楽に対する興味が全く無いということも解っている。 作ったりする力は、実はあると思うけど、それを再現する力は、皆無である。 なので、ジャズのアドリブなんかは上手くできるんだけど、人の作ったフレーズを何度も繰り返すという行為が、退屈でキライなのだ。 正直、音楽ではなく、小さい頃から絵をやっていたら、アタシの人生も変わっていたかなと思う。 まあ、図工の時間も好きだったし、別に、授業に関係なく、絵は描いていたみたいだけど。 というか、急に思い立ち、コソコソ作っていたという感じ。 (それは、ずっと続くものではなかった) 別に、出来上がった絵がヨカッタということでもない。 |
|
辻井さんの話に戻れば、音楽というのも、芸術なのであれば、人の心を動かさなければならない。 そういうことになる。 彼の、透明な旋律というのは、心に響いてくる。 二倍速で見なければならなかったという、こちらの事情もあるが、それでも、伝わってくるものはあった。 辻井さんは、たけしさんの映画音楽をやりたいなどと夢を語っていて、才能というのは、年齢とかではないと思わされた。 音楽のことだけ考えて生きていかれるというのが、彼の幸せだとも思えてくる。 たけしさんが、辻井さんのために描いた絵もステキだった。 どなたかに習ったのか、アクリル絵の具で描かれた絵は、POPだと思った。 最初は、観客が沢山いる中で、辻井さんがピアノを弾いている絵だったのだけど、急に嫌になり、前の日に、星空に描き直したのだという。 ピアノの黒い部分にも★が描かれていて、夜の中(光の無い世界で)音楽を弾く彼の姿が一層際立ったと思った。 |
|
そのあと、柚木沙弥郎 さんの染色の番組を見る。 アタシは、彼のことは知らなかった。 芹沢 けい介・セリザワケイスケさんの、型染めのカレンダーを見て、何も知らずに弟子入りを申し出たのだという。 そんでもって、彼に弟子入りし、型染め界をリードしてきたが、60を過ぎた頃に、「人のための作品は沢山すぎるほど作ったので、今後は、自分の作品をつくりたい」 そう考え、絵本なども手がけるようになった。 彼の作った絵本のキャラクターは、オブジェなどにもなり、古布を使った人形も沢山並んでいて、画面に引き込まれた。 一流の仕事をしてきた人は、何をやっても、人の心を動かせるものなのだと思った。 彼が世界中から集めてきた、素朴なオモチャもステキだった。 たけしさんと、二人で、そういったものを触りながら、イロイロな話に膨らんで行く。 アタシは、バティックやイカットのコレクターなので、染色については物凄く詳しいのである。 最近は、着物も着ているしね。 どちらかといえば、絣の方が好きだけどね。丈夫だし、汚れが目立たないからね。 そういえば、見に行かなくちゃいけない展覧会があったんだけど。なんだったかしらね。 はぁ。 柚木さんの作品も、きっと、近々見る日が来ると思う。 というか、染色でそんなに有名なのであれば、もう、見たことがあるのかもしれない。 人のために絵を描いる職業だったとしても、いつかは、自分の絵を描きたい。そう思う人の方が、圧倒的に多いと思う。 いつだって自分のために絵を描いているアタシは、やっぱり、幸せ者なのだと思うのである。 |
|
Established 1998 Rica's Bar WEB SITE & Since 2003 Atelier Ojara. |