◆◆◆ 1648 ★ テレビ番組 20歳の時に描いた絵画展他 ◆◆◆
インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)
2011.9.20 美術番組を立て続けに見ている。 今は、この、テレビを見たときの感想のノートというのを取っているので、特に、シャボン玉に書かなくても、その記録が残っている。 ので、こちらに、せっせと書かなくなったというのもある。 それは、膨大な記録であり、ノートに書いているため、こちらに転機する必要がないからである。 今では、メモ用紙のようなものに文字を書き入れ、シャボン玉に書いた後、その紙を処分していたんだけど、作家たるもの、美術鑑賞や、創作に対する意思というのは、紙に描いて残さなければならない。 アタシのアート研究によれば、世に出た作家の全てが、自筆の手記(日記など)もしくは、膨大な数の書簡(やりとりの全てが残されている)もしくは、仲の良い知人の記録 などが存在しているのである。 逆に、そういった品が無い作家は、世に出ようがないのだ。 例えば、死後になり、その作家の作品が優れているから、 テレビ番組を作ろうとしたって、ドラマチックな記録が無ければ、番組など出来上がったりはしないということになる。 |
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アタシがテレビの美術番組を見るのは、作家の人生や画業を通して、芸術家としての志、心、そういったものを学ぶためである。 恵まれている人もいるし、貧乏な人もいる。 急逝も多い。汗。 日本人は、早死にの画家が特に好き。笑。 若いときに亡くなるということは、まあ、絵への思いというのが、ホントウに、若き日の絵の中に塗りこめられているということになる。 伴侶に恵まれ、画風を変える人もいれば、苦悩の中の努力の連続みたいな人もいる。 最近は、野田弘志さんの番組を見た。 アタシは、リアル絵画というものには、それほど心は動かすことはないが、それは、書かれているものが、止まっている場合が多いからである。 絵画というのは、最低でも、多少の動きが感じられなければならない。そう、躍動感に溢れているというのも結構だが、そればかりとも限らない、ただし、静止画ではダメということになる。 一年間、黄金色の稲の束をアトリエに持ち込んだ作品などは、一年を経過するに当たり、米から蛾が羽化し、飛び立つ瞬間まで描かれていた。 一年という歳月、その時間の経過や、それ以上のものを見出し、 平面に留める。 細密画というのは、彼にとっては、そういう作業なのである。(と番組では解説していた) ご本人も、抽象画全盛の時代には、抽象画を描いたこともあったようだが、創作とは、自分の道を切り開くことだと気づいた日があり、細密画の世界を進むことになったのだろう。 |
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別な番組で、大竹伸朗さんが出演していた。 「人真似でなく、(前人未踏の)自分の世界をつくり、ひたすらそれを続けてゆく。45年も経てば、みんな、バカにしなくなる。」 そう語られていた。 創作者の道というのは、己にしか作れない作品への挑戦でなければならない。 先日の北郷先生との話でも、そういう話になった。 それは、画家としての本能だと思う。 公募展などに並んだ絵は、どの絵も似ていると思う。 何故、絵が似てしまうんだろう。 似ているのに、パワーを感じるものは少ないのだ。 独自の道を探しているのかもしれないが、まだ見つかっていない。そういうことになるのかもしれない。 大竹さんも若い時期には、イロイロな作風にチャレンジされていて、道に迷っていたこともあった。(と番組では語っていた) 世界中から拾ってきた印刷物などを、カンバスや板、スクラップ帳などに貼り付けて、作品を作る。 そういうスタイルが確立して、それはずっと続けているのだという。 |
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アタシは、以前大竹伸朗展を見に行ったときに、感激して、同じ類の作品を大量に作ったことを思い出した。 今頃、アトリエでホコリだらけだよな。 ゴミ袋に入れたっけな? 台風、大丈夫だったかな。 まあ、そんなことを少し考える。 昔の作品は、少し捨てないとね。 作品が増えすぎて、もう、絵を描く場所がない。 テレビの中の大竹さんは、以前テレビで見たときよりも、少し太られたと思う。 会田誠さんも、同じ番組で、自分の絵について語っていた。 「芸大の先生が、褒めてくれる絵の逆を行こうって思ったんです」 そう、そういう作家の気概が、作品の結果から、見るものに伝わってくること。 それが、創作というものである。 そういった作品を作り続けること。クオリティーをあげ続けること。それが、画業。 そういうことになる。 作品が良くなれば、売れないということはない。 作品は、良ければ、必ず売れるのである。 |
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