◆◆◆ 1647 ★ ニキッド サンファールの図録の解説 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2011.9.20

ジョンフーンさんは、ニキッド・サンファールのことは知らなかった。

アンリ・ルソーのことは知っていた。

相手も、共通に画家のことや、有名な絵についての知識があると、話が早いんだけどね、

知らない作家の話は、作家の説明なんかもしなきゃならなくて、話が長くなるわね。

ニキッド・サンファールは、女性の現代アーティスト?

まあ、やっぱ、現代系だよね。

最初は、射的絵画といって、風船の中に、絵の具の水を入れて、それを、女性の形をした造形物の中に入れる。(たぶん、石膏や何かで固めている)

そんでもって、それを、ピストルやガンで撃ち、女性の体内から色の絵の具が流れ出てくるという作品を作った。

そのパフォーマンスを見ようと、広場に人が集まってきて、彼女はそれで有名になったのだ。

作品はといえば、そのピストルで、射撃するという映像だよね。

女性の体内から、血のように、色んな色が流れ出てきて、それが作品になる。みたいなね。

そんでもって、彼女は、その作品を作っていると、自分が(傾倒しすぎて)アタマがおかしくなると考え、その作品を作らないことに決める。

それから、紙粘土のような品で、大きな張り子風の造形物を作り始めた。

ナナの誕生である。

初代から何体かのナナは、色が汚かったけど、その後、ポップやパステル・蛍光色に変化して、彼女は、大衆を引き込んだ。

ジョンフーンさんの絵は、黒と白で作られた、まあ、筋は通っているけど、夜見ると、全く見えないという類の作品だと思う。

ポスターの仕事をするのであれば、あらゆる場面で、人を引き込むような、大衆に向けた作風に昇華されなければならない。

収集家に持ってもらうということも、それに等しい。

アタシは、収集家の会で開かれた、展覧会に展示されていた作品について思い出していた。

オブジェ類は、特にカワイイ品が多いと思った。

「あっ、カワイイ」と、つい、声に出してしまうような、そんなかわいらしさである。

ニキの図録は、時代別によく並べられており、彼女が、どの時代に自分の作品でありながら、大衆も引き込んだのかというのがハッキリと解る。

商業美術というのは、売れない画家の独りよがりとは違うのだ。

ジョンフーンさんは、ニキッドサンファールのことは知らなかったと言い、図録の名前を控えていった。

アタシは、いくつもの図録を持っているけど、作家になる可能性がある人には、この図録を見せる。

ウチに来るのは、イラストの人が多いから、イラストの人には、カーライ・谷内六郎・北斎・歌麿なんかを見せる。

平面と現代美術は、やっぱ違う場所にあるよな。うん。

最終的には同じだろうけど、進んでいく順番が違うのかな。

まあ、その、見ている人に必要な要素は、多少違うってことだと思う。

2階で図録を見ていたお友達には、ニキの図録は見せなかったし、立体も沢山ある図録なので、立体や現代美術に興味が無い人は、全く関心を示さないのだ。

造形だって、平面だって、創作者なら、見たほうがいいに決まっているんだけどね。

専門外の作品は、時間のムダだから、見ないなどと説教してくる人までいるもんな。あはは。

もったいないよな。

そんな人であっても、華道の展覧会は、一回見に行くべきだと思う。

まあ、精神的な世界の話だからね。解らない人には、一生解らないだろう。

アタシは、家元の作品は、現代美術的なものが多いと、一瞬にして理解できた。それは、現代美術が何だかを本質的に理解できているからである。

華道の人は、華道の人で、現代美術のことはよく解らない人も多いかもしれないが、家元が、「見た人をビックリさせよう」みたいな意思がある方なら、弟子にも、その志というのは継がれる場合が多いと思う。

教室中の生徒に、全く同じ材料が渡され、自由に活けさせたあと、センセイが全部引っこ抜き、センセイが、どの作品も同じ形に作り並べるというのは、華道ではない。

が、趣味のお教室ではある。そういうことになる。

アタシに絵を習いたいという人は何人も来る。

もしくは、子供に絵を習わせたいという人も来る。

子供の絵は、絵を見てあげて、親を教育する。

そして、絵などより、英語とパソコンを習わせ、社会で生き抜く力を高めるよう助言。

もし、絵が好きな子なら、絵というものは、子供は勝手に描くのである。だから、身近なところに、紙やクレヨンをいつも置いてあげて、描きたいときに勝手に描かせれば良いのだと。

そうして、描いた絵は褒め、何が描かれているのか解らないときには、「何を描いたのか」子供に聞くように指導。

子供の絵の場合、たいていは、何かを描いている。

アタシのように、見た人が何だか解らないものを描いたりはしないのだ。

技術がまだ、稚拙なため、何を描いたのかワカラナイということが多いというだけである。

だから、ゾウだとか、キリンだとか、猫だとか、犬だとか、ママだとか、パパだとか、そういう話になったときに、ほんの少しだけ、猫は猫らしくなるように、見本をママが描いてあげるといい。

子供は、ママの絵と全く同じ絵を描くことに熱中し、会話時間が増えると、どんどん絵も描ける様になってゆく。

逆に、描きたくもないときに、ムリに描かせると、飽きて他の事をはじめてしまう。そういうときに、ムリに描かせたりすると、絵がキライになってしまうのだ。

英語とパソコンができると、お金が稼げる話をすると、大体のママは、そっちに金をつぎ込もうという決意に変わり、ニコニコとウチを出てゆくのだ。

アタシも、それでヨカッタと思う。

子供とすれ違ったときに、「また絵を見せてね」というと、子供は、張り切って、また、アタシに見てもらうために、絵を描いてくれる。

アタシは、それが幸せだ。

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