◆◆◆ 1635 ★ 龍ちゃんの個展 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2011.5.25

5/25日から、30日まで、龍ちゃんの個展がおじゃら画廊にて開かれている。

以前、父の写真の展覧会を見に来てくださったことがあり、お住まいの千葉方面、仕事関係の埼玉方面の交差地点にある北千住は、交通が便利という理由からである。

・・・・・。

今まで、オジャラ画廊を貸しきりにした人がいたか?

トルコのオヤ糸屋さんがいたよな。

でもまあ、物販だからね。

あのときも、信じられないぐらいに、お客様がきた。

ギャラリーというのは恐ろしい。

DMを持ち、どの人もおじゃら画廊を捜し歩くのである。

父の展覧会だって、100人ぐらいは来る。

どの方も、道に迷ったなどと愚痴りながら入ってくるのが特徴である。

司法関係の仕事のため、司法関係の知人多数。

作者様ご高齢のため、展覧会終了後、絵は進呈します。

作家さんと相談して、そういうことに決めた。(送料は着払い。)

本人が死んだら、絵など捨てられてしまうのだ。

それよりは、生きている間に、関係のある方、慕ってくださる方に持っていただき、飾って頂くというのが、絵にとっての、一番の幸せだとアタシは考えている。

オジャラ「絵なんてさ、全部は一緒に焼いてもらえるわけでもないし、残された品は、家族がみんな捨てちゃうんだよ。だからね、遠慮なさらず、どうか、飾ってあげてください。」

全部ではないが、良い絵も多い。

何を持って、アタシが良い絵というのかは、絵をずっと見ていられるという画力についてである。

絵の華やかさは、この前、日動画廊で見た筋の絵に近い。

丁寧に描かれたその絵は、もう、何十枚も描いた中のよく出来たのを持参されたということが理解できる。

それぐらい、何度も何度も、粘り強く色を作り出し、明るくまとめられた風景画たちである。

職業上、道にはずれたり、遊んだり、ふざけたりもできないという人生だったため、絵もマジメそのもので、そこは物足りない。

だが、別段、画家ということでもない。

オジャラ「龍ちゃんさ、どうして、絵の会に入らなかったの?」

龍ちゃん「いやぁ、見せるほどのものじゃないしさ」

オジャラ「まあ、ギンザだったら、売れたかもしれないけどね。一流の作家さんの絵と並んでも、負けない絵もいくつかはあるよ」

アタシは、悪い絵を良い絵だといったりはしない。

それは、画廊業の努めである。

そういう理由から、悪い絵が褒められないので、画廊業は廃業しようということに決めたのだ。笑。

辞める理由は、そこなんだ。

そうなんだよね。

絵を描き続けるという才は、誰にでもあるものではない。

良い絵を描き続けるとなると、それは別な精神的な成長や鍛錬も必要になるということなのだ。

それにしても、我流というのには驚いたよな。

このほか、仏像も17体程展示されている。

この、シツコイ性格のアタシが一体も出来なかった木彫仏像が17体。

シビレル精神力だと思う。

奥様が亡くなられて、コツコツと、供養のために作られたのだという。

仏像は、仏像の教室で習われているみたい。

さすがにもう高齢のため、仏像はムリと思うと語られる。

オジャラ「絵はまだ描けるじゃないですか。お友達と、グループ展なんか、楽しいですよ」

留守番の手伝いをするときに、私が着物を着ていくとどのお客様も嬉しそうである。

龍ちゃん、「オジャラさんは、よく着物を着られるんですか?」

と聞いてくる。

オジャラ「電車に乗るときには着る様にしてるんです。月に三度程しか乗りませんからね。」

普段は、作業着で、最近は墨だらけ。

髪の毛もグチャグチャだしさ。

さすがにこんなに汚い留守番では、来た人も驚いてしまうし、絵も悪く見える。

絵というのは、やはり、キリリとした人が留守番しているほうがいいね。もともと高いものだからね。

この前も、とある有名画廊さんのママさんが、アタシが着物を着ていくと、自分もタンスにイッパイ持っているなどと言いはじめる。

そうだろう。

画廊業となれば、着物も沢山買っちゃうよなあ。

などとうなずきながら、

「ママさんも、お店で着ればいいじゃないですか。画廊の格調が上がるし、殿方のお客様ニコニコですよ」

着物を着ていると、なぜか殿方がニコニコするのだ。笑。

おじゃら画廊

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