◆◆◆ 1623 ★ 書を作る ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2011.5.7

気がすすまないのだが、頼まれたので仕方がない。

書家の作品と並ぶと、どうしても落ちてしまう。

当たり前である。

オジャラ「知り合いの書家に頼んであげようか?」

大将「いえ、オジャラさんにお願いします」

オジャラ「まあ、練習はしてみるけどさ。ホントに、お店の中央に飾っちゃうの?」

という会話。

大作用の落款は見つからないから、また作らなきゃ。

はぁ。

書は、金取れないよな。汗。

店を閉めていても、アタシと話をしにくる人は、ひっきりなしにおり、ひととき話をして、帰ってゆく。

誰一人、絵を買おうという人もいなくて、現実というのは、理解し易い場所にあると思えてくる。

まあ、売る用の絵も置いてないんだけどね。

今月末から、龍ちゃんの展覧会があるので、しばらく画廊は掃除をしたりして、ガランとさせておくことにする。

書の大作を作っただけでも、すでにぐちゃぐちゃ。

近くに、モンスターテーブル(monstar's table)さんというステーキ屋さんができた。

例のごとく、大工のお兄さんと仲良くなり、廃材をもらう。

今回の廃材は、額縁の縁に使うのに丁度良い。

すでに、書道の文鎮としても利用。

開店のお祝いに、大将に、何かプレゼントをしようと申し出る。

オジャラ「私は、お金がないので、食べに行ったりできないんだけどね、ごめんね。でも、キモチだからさ、何か作って差し上げるわ。」

隣にあるBAR THE SUNのマスターには、小さなゴミ箱の内箱を作ってあげた。

前のNEW オリンズのマスターは、アタシに木っ端板をもらおうとしたので、何を作るのか尋ねたら、「月曜定休」という看板を作りたいのだというので、それを作ってあげた。

お店がミドリで統一されているのに、アタシは、その看板をブルーで塗ってしまう。

違和感があるので、ミドリで作り直す。

まあ、そうやって、ささやかに、お役に立てることが有効なコミニュケーションを作る間口になっている。

もともとは、そのオーナーさんから、もらった廃材だし。笑。

お店というのは、美意識だからね。

絵を贈ったりはしない。

役に立つ、地味なものの方が、ホントウに有り難いのだ。

アタシも、七夕飾りなどが届けられると、ホントウに困るんだけど、飾ってあげることにしている。

それは、知り合いのおばあちゃんが、私のために、せっせと作ってくれるわけで、私が飾るので、また作ろうと思い立ち、そうして、それが、生きる勇気を与えてくれる。

人間関係とは、そういうものであり、よかれと思ってしたことが、相手に迷惑だということは多い。

それを、どう受け取り、どう生きるのかというのは、受けての人生でもある。

モンスターズテーブルの大将のお店を拝見させていただいたときに、トイレのペーパーホルダーがなかったので、それを作ることにした。

最近、板がまっすぐに切れない。

のこぎり、買わないとな。

千住工房の女将さんが久しぶりに訪ねてくる。

「よく通るんだけど、オジャラさん、いつもいなくて」などといいながら長い話になる。

お互い、創作者同士。

話の筋は同じである。

女将「この前、子供たちに絵を教えていたじゃない?」

オジャラ「ああ、職場体験の中学生ね。毎年きちゃうのよね。」

女将「ああ、職場体験なんだ。」

オジャラ「そうよ。ノーギャラよ。ははは」

女将「絵を丁寧に教えていたよね」

オジャラ「子供って素直だよね。アタシは、毎年彼女たちに学ばされるの。だからね、また来て欲しいって思うのよ」

女将「そういうのっていいよね。」

オジャラ「絵なんて、みんなタダで見てるよ。まあ、ウチに入ってくる人は少ないけどさ。そんなもんで、金取ったりしないよ」

女将「そうなんだ。取ればいいのに。」

オジャラ「本人に才能がなければ、絵なんて上手くならないし、才能があれば、アタシが持ってる図録三冊ぐらい見せるだけでも、ぐっと絵のことを理解して、帰ってゆく人ばかりよ。

別に、教えたりするもんじゃないよ」

そんなはなしを長いことして、彼女は帰っていった。

そういう話ができる人が、身近にいないんだろうと思う。

そういえば、グリーから、社員にならないかって話がきたって言ってたよな。アタシは、なればいいじゃない。って答えたんだけどね。

すごい才能だよな。

彼女がアタシと話に来るというのが奇跡というクオリティの違いがある。汗。

アタシは、最近描いた素描を見てもらったり、絵というのは自由なものだから、ウチにくる子供たちや、

コンテンポラリーアートのことを知りたい、(理解を進めて)楽しみたいという人への、伝道ってことをしたいって彼女に話す。

彼女も、ウンとうなずいて、

ここは、そういう場所だよねって答える。

なかなか、自分が自由になるってことは難しいけどね。

人に説明していると、自分の足りなさがわかってくる。

自分の足りなさと、足りている絵を見比べて、そこまで登ることができなければ、一流になど一生なれないのである。

私は、画廊という場を持ち、「創作とは自由なものである」という意思を、多くの人たちに伝えることができ、何と言う幸せものなのだろうと思うのだ。

おじゃら画廊

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