◆◆◆ 1613 ★ 岡本太郎展-3  ◆◆◆

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インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2011.4.29

太郎のテレビ番組も素晴らしかった。

特に、「太郎の塔」という番組は、彼の苦悩や、育った環境などが理解でき、興味深い。

岡本かのこ(歌人)と、岡本一平(挿絵画家)という、サラブレッドの家系に生まれた太郎。

彼の芸術を支えたのは、親の遺産であったと思う。

戦争のときに、何もかも燃えてしまったようだし、貧乏な時代もあったように描かれている。

実際のところどうなのか。

ある程度の広さの作業スペースがないと、あのような創作活動はできないよなと思う。

まあ、そういう意味では、アタシも、環境には恵まれている。

別段、自分の力ということもなく、オヤの脛が細くなっているだけで、親がアタシの創作の方向性に理解を示さないことは、いつでも心が深く心が傷つくのである。

まあ、仕方がない。

それは、親だけに留まらず、私のところに集ってくる作家さんであっても、アタシの作風が進みすぎ、受け入れることが出来なくなっているのかなと思うことも多い。

コンテンポラリー作品を貫くというのは、そういうことであり、ある種の、それに似た覚悟の話は、この、太郎の番組から学ぶことができた。

「ボクは、戦っているんだよ。作品を理解しようとしない人たちとの戦いなんだ」

太郎はそう話す。

全くその通り。

凡人に芸術を理解させるための戦いではない。

全く理解できない人たちの中にポツンと置かれ、そこで、彼らが全く受け入れないものを作り続けるという、自分の精神との戦い。

そういうことなんだよな。

アタシは、創作者として、コンテンポラリー作家として、自分の進もうとしている道が、間違っていなかったことを再認識できた。

それだけでも有意義だったし、この道を歩く芸術家の全てが、同じように戦っているのだということを理解した。

アタシは、アタシに、花台を頼んだ人のことを思い出す。

彼女は、長年絵を描いているし、ほとんど同じ美術番組を見ているのに、絵は、全く上手くもならないし、アタシの作品のことを

「アナタの絵は簡単だ」とか、「ゴミにしか見えない」

などと罵倒する人なのだ。

無知というのは恥ずかしい。

そうして、自分の絵の悪さが解らないということに、ホントウについていないと思うのだ。

そのくせ、絵の具の混ぜ方を聞いたり、何色でサインを、どこに入れればいいのかといいながら、ヘタクソな絵を大量に画廊にもちこんで、アタシに絵を見せるのだ。

画廊業というのは、恐ろしく人間を成長させる。

「アナタは、基本的な素描の力が不足しているから、絵は、これ以上はよくならないから、絵をもっとうまく描きたかったら、クロッキーなんかに通わなくてはダメだよ」

アタシは、必ずそう教えてあげるのだが、クロッキーが何だかも知らないのである。

何十年も絵を習っているのに、どうして、こんなに絵が下手なんだろう。

アタシは、それが解らなかった。

先日、ある展覧会を見た。

どの絵も、丁寧に描かれた、良い風景画だった。

動きの微塵もなく、まあ、売り絵でもない、趣味の人が描いた絵という感じ。

楽しみのために作るのは、それはそれで、価値のあることである。が、何十枚も集まった、イロイロな人の作品の全てがそれだと、さすがにそのことの不幸を感じないわけにはゆかない。

先生の絵も、たぶん悪いんだよな。

アタシは、そう納得をし、一度でも、「絵というのは、自由なものだ」という話を誰かに教えてもらったのなら、「絵の自由」について考える時間もでき、自由な絵を手に入れられたかもしれない。

のに、そうではなかったことの不運をなげかないわけにはゆかなかった。

そうして、それは、岡本太郎の人生そのものなのだという理解をした。

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