◆◆◆ 1715 ★ 田窪 恭治 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2012.8.14.

今日は、田窪さんの壁画の番組を見る。

壁画の前は、前衛芸術家だったというのは、驚いた。

以前にも、彼の番組を見たかもしれない。そのときにも、そう思った気がするが、今度は忘れないと思う。汗。

あの、ノルマンディーの教会の修復というのは、当時もテレビ番組で紹介され、感服したものである。

アタシが、まだ、バリから帰ってきたばかりの頃だったと思う。

そのころは、前衛芸術が何かも解っていなかったので、そのことを忘れてしまったとしても不思議はないのである。

田窪さんは、たけしさんとふたりで「自称芸術家だったころは、文化人が集まるところに行き、口から泡を飛ばして、なんらかを激論したりすることが、芸術活動だと思っていた」

などという話をされていた。

自称芸術家かぁ。

アタシのことかしらね。

そうして、木材に金箔を貼り付ける、華やかなオブジェ的な作品などから離れ、建築物の中全体を作品にしたり、(床をガラス貼りにするとか)

ギャラリーや、美術館での展示というのに疑問を持ったのだという。

フジタも、結局は、壁画制作ということになったし、それは、マティスもそうだった。

平山郁夫も、上村 松篁だったかな、その息子だったっけ、とか、有名な日本画家や水墨画家はだいたい、神社の襖絵とかを描いている。

アタシも、フスマ絵描きたいなあ。

この前、仕事で小さいカットをかいたんだけど、久しぶりだったんで、ビミョーに時間かかっちゃった。

あ゛あ゛、絵が下手になっておる。

仕方が無い。

田窪さんは、「デッサンを続けて、絵が上手くなってくると、それを壊すということができなくなるんです。」

有田の白い土に、ゴス(濃い藍色)でサラリと描いた巨大な壁画には驚いた。

田窪「暗くなると、白い壁面が、ガラスに写って白い壁が、背景の木々と溶け合うんです」

ああ、あの空間でお茶したい。

ツヤツヤとした冷たい陶板は、30×60センチの大きさが1000枚以上もあり、陶器についた、絵の具のハネや汚れを、陶工がキレイにしてしまうのが田窪さんは気に入らなくて、確執が生まれたりもしたと話されていた。

でも、これだけ沢山ある陶板の、ただの一つも割れなかったのだと。

この前も、陶芸家の番組を見たけど、彼も、「陶というのは、強靭で、その破片は500年も残ってしまう」

と語っていたのを思い出した。

500年も姿を変えずに残るという画材は、金属(金工やブロンズ)であるとか、石(大理石の彫刻)、などに限られる。

屋内で、大切にされた場合には、紙だって、漆器だって、上質の材料に作られれば、それなりに残すことはできる。

そういう意味で、壁画に陶板を使うというのは間違ってない。マティスの教会も、確か、焼きつけたガラスや、彼の作ったタイルなどに彩られていた。

あの教会も見てみたいな。

そう、何か一つ、作る前に、何かをしなくてはならない。

カッコたる結果・実績がないと、だれも何も頼んではくれないのである。

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