◆◆◆ 1712 ★ フジタツグハル ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2012.8.14.

終戦記念日が近いせいか、また、フジタのおおがかりな展覧会が開かれるのか、フジタの番組が多い。

以前にも、彼の番組はみたが、イロイロな角度から彼の番組が構成されていて、ホントウに日本を代表する画家なのだと思わされる。

特に、戦争を挟んだ、戦前、戦争画時代、戦後という、画家にとっては最も不遇の時代をすごさなければならなかったのは、不幸であったと思う。

そういった中でも作品を作り続けられたというのは幸せであり、その作品が、今も残っているということも、また、画家としての幸せである。

私は、彼の様々な絵を見てきた。乳白色時代も、あの、箔に彩られた群像も、その後の華やかな時代の絵も、この前のフジタ展で見た。

そうして、顕著なオーラを発している、乳白色の時代の絵に人気があるのは、まあ仕方ないというのが結論である。

本人としては、新しい表現に進んだわけで、昔の絵ばかり褒められると、それはそれで頭にくるというのも理解できる。

人というのは、解りやすい事象をヨシとすることが多い。そういうことになる。

自分の信念を貫けるのかというのは、別な精神的な話でもあるし、かといって、新しい表現に挑戦しないのであれば、それは、芸術活動ではない。

だから、前回に描いた、道楽収集の輩の、間違った美術論など気にせず、信じた道を進めば、死後には、結果的には全部を評価してくれる評論家や研究者というのも必ず出てくるのである。

そういう意味では、まだ、日本の美術界は明るい。

そうして、そういった、「芸術自由」という本質について理解できている関係者が、まだ僅かであるということには、危惧を抱かないわけにはゆかない。

番組の中のフジタの言葉

「元来画家というものは、真の自由愛好者であって、軍国主義者であろうはずは断じてない。一億国民はことごとく戦争にすいしんし、多くのものもともに国民的義務を遂行したにすぎない。今敗戦の事実に直面し、その敗因を静止し、反省し、世界平和と真の美への探求を極め、精一杯の勉強をなさねばならぬ。」

全く今であっても、その通りだと思える主張である。

私たち現代人には、危機感というものが不足している。

明日死ぬかもしれない、明日、爆撃にやられるかもしれない。

そういう、刹那的で、希望の感じられない時代というものを体験したことが無いものが多いのである。

父や母には、戦後、モノの無い時代、必死に生き抜いてきたという自負を感じる。

が、目の前で同国の人が殺戮にあったり、玉砕ということばで美化された自滅的な戦いを体験したということではない。

私は、そういった危機を体験したいということを話したいのではない。

ただ、結構な年だというのに経験値の低い人間が多く、個人的な快楽や見栄のために、他を傷つける幼稚な精神構造に、ゾっとするような不安をいだくことが多い。

資本主義、成金主義、物質主義の結果、大切なものは、金品ということになり、所有欲のために生かされているという人生。

生きる希望というのも持たず、人のために生きたりもしない。

何か、大切なものが失われているようで、アタシは、そのことが、ホントウに心配なのである。

アンパンマンがあれほど人気があるのは、そういった、道徳的、完全懲悪の代弁師であるからなのだと思う。

ちびまるこちゃんや、サザエサンには感じられない、もっと強い何かが、日本の子供や日本人の精神を惹きつけているのだといえる。

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