◆◆◆ 1708 ★ 何を描くべきか − 2 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2012.7.21.

やなせ先生の番組は、アタシに、一筋の道を開いてくれた。

そのことには間違いが無い。

彼は、メルヘンとか、ファンタジーとかいう美意識を貫いてきた。

それは、創作者や、創作者の支援者としての道筋であり、当然の流れだと思う。

アタシが感銘したのは、そのことではなく、やはり、自分の仕事が、皆様を元気にできる。

そういう作品になりたいという方向性である。

元気アートというコラムがある。

アタシは、もう、最初から、見る人を元気にしたいという気持ちで絵を描いていた。

そのことを思い出した。

カウンセリングの知識もある。

ギャラリーにて、人間の喜怒哀楽を研究しなければならなかったのは、必然だと思う。

そう思うことにした。

作品が、人に役に立つというのは、現代アートの対極にも思える。

よくよく研究すれば、普遍的な哲学を持たなければ、その作品が後世に残るということはない。

多くの現代作品を見つめながら、アタシは、創作というものの、今置かれている不遇や、行くべき場所が、ホントウにこれで良いのかという、そういう疑問について、考えてきたということになる。

バリ島から帰ってきて、もう、アトリエは電気も止まってしまうという経済状態で、私がアトリエに行かないという理由は、電気がつかないからということになる。

暑いもんなあ。

蚊だけは元気。

早く電気を復活させないと。。。。。

母は、アタシにギャラリーを買い与えたことを後悔しているようだった。

アタシは、その話は、何度も断ったのに、(株の値があがり、手持ちのお金が増えたので)どうしてもあとりえを建て直すという話をもちかけてきた。

予算があるのであれば、アタシは、もう一件、もう少し広い場所を買って欲しいと申し出て、その日のうちに、今の物件と出会い即決。

そういうことになる。駅から近いからね。

でも、今思えば、株で持っていたら、金額が目減りしただけであり、あのとき、固定資産にシフトしたため、ギャラリーはまだ残っているということになる。

なので、あのときの決断は正しかったのである。

本来であれば、アタシは、ギャラリーで大作を描くべきなのだ。

が、どうしても、そういう決断が出来なかったことにはいくつかの理由がある。

まあ、ここに書いても仕方が無い。

そうして、アタシが絵を描き始めたら、ギャラリーは絶望的に汚れることは必至で、そのことには心が痛むばかりである。

まあ、そうなるべきなんだろうと思う。

2階は、引き続き美術館にしてね。

ギャラリーというのは、不思議なもので、関心のある人は、必ず入ってくるのである。

だから、関心の無い人に来てもらうより、細々と続けてゆけば、じわじわと、広がりを見せてゆくということになる。

そういう幸せということに、深く感謝したいる。

おじゃら画廊

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