◆◆◆ 1607 ★ ワンピース倶楽部に入会する  ◆◆◆

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インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2011.1.13. 更新

最近、ワンピース倶楽部という会に入会した。

収集家が組織する会で、

●年に一度、生きている作家の作品を購入する。

●その作品を年に一度展示会に出品する。

●年会費は一万円

という活動内容。

アタシの収集品は、たぶん、この会の方たちの中で、一番低い可能性がある。笑。

収集とは、自分の手持ちのお小遣いで、チョロチョロ買うのが一番正しい。

初心者のための「アート購入講座」でも書いたけど、

借金して買ってはダメ。

気に入らなかったら(心が動かなかったら)勧められても、値段以上の価値があると言われても買ってはだめ、

買ったら人に見せびらかしましょう。

まあ、収集道というのは、ウルトラマンのメンコみたいなもの。

ウルトラの父は、枚数が少ないから、みんな欲しがる的なね。

ウルトラマンより「父」や「母」の方が人気というのが恐ろしい。

人間の趣向というものは、希少なものを所有したいという、くだらない欲求に支えられている。

そう考えれば、購入した品物はおおいに見せびらかし、自慢するというのが正しい収集道といえる。

アタシの場合、その作品が、どのぐらい安かったのかというのとセットになっている。

希少な品を高値で買うのは当たり前。

収集家としては最低ランクだと思う。

良い品をどんだけ安く買ったのかというのは、目利きの次の挑戦ということになる。

目はあると思うけどね。

お金がないのよね。あはは。

人間とは、持ちすぎると不幸になる。

だから、アタシは、今ぐらいで幸せだと思うことに決めている。

エカテリーナの360万枚のアートのコレクションが、彼女の寂しさの大きさなのだとすれば、まあ、仕方がない。

孤独というものは、物質では満たされるということもないのだが、画家や優れた作品のためにはヨカッタと思う。

エルミタージュ収蔵ともなれば、他の美術館や有名画廊でも扱うだろうし、美術品にならなければ、作品というのは、価値はゼロなのだ。

別段、価値がゼロの作品だからといって、身近な場所に飾れば嬉しいという品は多い。

アタシのコレクションは、買値こそ安いが、ギンザの画廊で高値で売られている品と並んでも見劣りしたりはしない。

絵というのは、画力というものが備わっていて、並べば差がでてしまうという恐ろしい世界なのだ。

そういう、絵の力を見抜けなくても、お金を持っているから何か買いたいという収集家の人も、実のところ沢山いる。

それはそれで、市場が活性化するので、アタシは、ニコニコとして、「良いお買い物をしましたね」

と言うことにしている。

画廊業は、ボキャブラリーを磨く仕事である。

どんなにヘタクソな絵でも良いところを見つけて褒める力。

ということになる。ははは。一生ムリ。

本音のところ、絵、そのものは、ヘタクソでもいいんだよね。

一生懸命さが絵から伝わってくるのか。

そこは、最低限必要だと思う。

私は、イロイロな画材で作品を作るので、ほとんどの作品で、仕上がった状態をみて、どれぐらい苦心のあとがあるのかというのも解る。

たとえば、サラリとした裸婦であっても、その一枚の裏に、何千枚もの素描の習作が隠れているというのは、解ってしまうものなのである。

サラリとした作品が、シッカリ描けている。それが銅版画ということになり、ごまかしの利かない世界なのだ。

だから、アタシは銅版画が好き。

イラストのコンペであっても、一生懸命に何度も書き直して作っていますという絵が入選したことがあり、この絵には、時間がものすごくかかっているとか、他には絵が出来ていないのだということまでわかるようになってきていて、コンペのお手伝いというこの実態だけでも、目が物凄く肥えてしまうのだ。

絵の仕事というのは、そういう経験値に他ならない。

だから、長くやっている画廊というのは、経験値が高い分、それだけの付加価値が感じられる。

そう評価できると思う。

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