◆◆◆ 1605 ★ 絵の仕事をするということ  ◆◆◆

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インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2011.1.7. 更新

たいした仕事をしてきたということでもない。

ただ、絵に限らず、お仕事を頂くというのは、ご縁のものであり、ご縁というのは、増えたり減ったりする。

少しずつ、前に進むようでもあり、全く新しくなったりもする。

こちらに落ち度がなくても、ご縁はなくなることもあるし、こちらから、お断りすることもある。

絵がどんなに描けたとしても、人間の品格で、ご縁を失っていると思う人がいる。

全く、それそのものが才能だと学ばされる。

私は、絵を業とする人の、最低限必要な才能として、

●絵を描き続けられる(大量に)

●他(の作品など)から学ぶことができる

●ある程度の社交性

この3つは不可欠だと思っている。それは、以前の考えとたいして変わらない。

この、「ある程度の社交性」という言葉には、最低限、自分の作品を販売してくれる画廊との関係を維持できるという能力も含まれる。

イラストの仕事などの場合、もっと顕著であろう。

絵が上手いイラストレーターは、次々と湧いてくる。

その絵の新しさや、やわらかさは、こちらのカチカチの頭や、稚拙な技術などよりも、ずっと高い場所にあったりもする。

頼むほうは、安い絵を探して、次々にイラストレーターを替えてゆく。

そういう戦いの場にいるということになる。

そういった中で、人間関係を正常に構築できないというのは、やっぱり、マイナスに働く。

どんなに絵が良くても、有名になったりはしない。

社交能力というものは、学べば身につけられるものなのだから、身につける努力をするべきであり、暴言を吐き散らし、自ら嫌われるような行動をしない思慮も、前に進むのには必要だということになる。

まあいい。

人の話などどうでもいいのだが、応援したかったのに、残念だと思わないわけにはゆかない。

そうやって、絵以外の話で、表に出て来れなかった人の、優れた作品がうもれてきたことを考えると、この世の損失でさえある。

画家は、絵や技法以外にも学ばなければならないことが沢山あるのだと思う。

アタシは、ここ何年か、絵が描けるのに、絵が良くならない人の絵のことを考えていた。

アタシには、どうして、彼らの絵が良くならないのかが、全く解らない。

絵は沢山作っているのに、どうして良くならないのか。

もう、既に、絵が良いということもあると思う。

十分に絵が良いから、もう、この先は無い。

ということではない。

絵というのは、まだ、どこまでもよくなる余地はあるはずなのに、そうではない人の絵にも沢山出合う。

イラストの場合、まあいいかなと思う。

画風が進みすぎても仕事というのは来ないものなのだ。

画家の生涯を研究していると、自分の画風というものを手に入れ、それなりの名声を得た画家というグループがある。

晩年、自分の画風を守り続けた画家と、それを打ち壊して、新たなる世界を切り開こうという挑戦をした画家の、二つの道に分かれる。

どちらが正しいということではない。

宮本三郎の絵のように、晩年に、やっと自分の世界を手に入れられた画家もいれば、クマガイモリカズのように、手に入れた自分の世界が、ホントウに素晴らしいという人もいる。

いやまあ、彼らほど有名であれば、別段、その先の道は必要がない。

しかし、まだそこまでではないという絵なのに、止まったままという絵もいくつも見ている。

そのことは、私にとって、未だに大きな謎であり、その理由はよくわからない。

私がコンテンポラリーに進んだことについて、「どうしてそんなにばかげた作品になってしまったのか」

と、説教を始めるひとすらいる。

いやまあ、画業という道筋の話なので、どの人にも、絵を志す何かというものがあり、自分の信念に向かって進むしかない。

であるからして、私は、自分の趣向を押し付けたりはしない。

収集家のハーブも言っていた、

「自分の趣味を人に押し付けてはいけない。」

どの人にも、その人なりの価値観というものがあり、それは、それで、尊重すべきなのである。

だからといって、絵の成長が止まったままでいいはずもない。

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