◆◆◆ 1599 ★ 千住まちかど美術館  ◆◆◆

世界丸見えにおじゃら絵が映ったときの画像はテレビ局HPからごらんいただけます

FM北千住 毎週日曜 夜九時オンエアー(あとはいつでも見れますよん)

2011.1.3. 更新

今年も、秋ごろからスタートしたのだが、地図が出来上がったのは、12月半ば過ぎである。

協賛金は、7万程になり、その全てを印刷費につぎこんで、町歩きの地図が完成する。

二年目の今年は苦戦した。

最も苦戦したことは、作家さんの作品と、展示する側のお店の意識の違いだった。

どのお店も、最初は、どんな絵でもいいと言うのだが、やはり、前衛的過ぎる、マネキンの手に包帯を巻いた作品とかは、飲食店には置けないとか、そういう話になる。

仮面をかぶった、ちょっとエロっぽい女性の写真作品や、人形を撮影したオカルト的な作品もダメ。

まあ、そういうことになる。

なので、歳末アートフェアのときに、おじゃら画廊に展示という流れ。

何とも言い難い。

アタシは、ニキ・ド・サンファールの図録や、彼女の展示のことを思い出す。

射的絵画とかいう、派手なパフォーマンスと美貌で成り上がった彼女だったが、精神のバランスを崩してしまう。

その後、造形作品へと進み、とうとう、ニキ独自の、華やかな世界が作品に現れてくる。

そう、あの、ビビッドな色をした、美しい造形物たち。

あの自由度というのも、ホントウに素晴らしい。

ああ、自由というのは、何て素晴らしいんだろう。

アタシは、目の前に置かれた、展示を拒否された作品を眺めながら、絵は、どうならなければならないかを考えた。

毎日毎日、ぼんやりと時間を過ごし、例えば、画廊を開業しなければならなかった必然というものを考えてみる。

まあ、多少の収入が必要であるということは言うまでもない。

しかし、それだけではないはずなのだ。

「とりあえず、2年ぐらい、画廊をやってみよう。」

そういう、安易な動機である。

それは、何か学べるものがあるからに違いない。

ある種の、漠然とした、目に見えないものは、結局三年半かかって、私の元を訪ねてきたということになる。

飾られない絵は、存在しないのと同じである。

この言葉は、以前、アタシの日記のどこかに書いたように記憶する。

だから、アタシは、コレクションも展示しているし、時々入れ替えもする。

そう、誰かに買われる、持たれるということだけではダメで、見てもらわなければならない。

だから、みんな、最終的には壁画や天井画、仏像などの崇拝物などに昇華され、永遠に展示され、見られるという究極の場所に置かれるのだということになる。

優れた作家というのは、そのようにして、名を残してきた。

宮殿しかり。

年末、宮殿の番組を見たからね。

館そのものが、王家のコレクションであり、美術品ということになる。それは、美意識の集合体であり、権力の証でもある。

そういう、金回りとセットにならなければ、美術というのは、発展してこなかったということになり、もし、白羽の矢が立てられるのだとすれば、それは、作家の才能が、やはり、作品として、外に現れるのかどうかという話になる。

おじゃら画廊

Established 1998 Rica's Bar WEB SITE & Since 2003 Atelier Ojara.
Copyright (C) All Rights Reserved by Rica Ojara.