◆◆◆ 1593 ★ ハンス・コパー ◆◆◆

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2010.10.20. 更新

名前は聞いたことないなって思ったけど、あの造形は、いくつも見たことがある。

それぐらい、造形の印象が深く、ポピュラーな作家ということになる。

ルーシーリーと一緒に、工房で作陶していたという話には驚いた。

ルーシーが、日銭を稼ぐために作っていた、飾りボタンの型に、粘土を入れて、型抜きなんかの作業をしていたのだという。

あのボタンは、今でこそ、オリジナルは高いだろうけど、当時は、いくらぐらいで販売されていたんだろうね。

気になるわ。

そうして、晩年、筋肉が縮小していく病気に侵されて、前衛的な作品を、その時期いくつも作っていたのだという。

それから、彼は、作品に対しての説明は一切残さなかったのだという。

そうなんだよね。

くどくど説明している映像なんかを見たりすると、ああ、ここまで説明しないと、誰も理解してくれないんだよね。

とかさ、思ったりするわけ。

でもまあ、何もないと、現代系の作品というのは、ホントウに、理解するのが難しいというか、見る人と、創作者の感覚が、まあ、全く別な場所にあったりして説明してくれないと、わからないとか。

説明を受ければ、解った気になれるとか。

そういう話である。

番組に出てきた、陶芸家のアリソン・ブルトンの言葉。

ハンスの作品は、とても抽象的で、(ムダなものを)そぎ落としたエキスだけを抽出したものではないでしょうか。

作品を通して語ったのです。

私たちは、そこから感じ取らなければなりません。

理念のエッセンスが凝縮されているのです。

困難に耐え抜いた人間の大きなものをくぐりぬけてきた人間のシンプルで凝縮されたものが。

と、ハンスの作品を語っている。

この、たけしさんの横にあるのが、アタシが描いたイラスト(油画)。

先日、収集家のそねだゆさんと、シュール DE ビューティー賞の、一次審査をしたときにも、同じ話になる。

ゆ「作品から、あふれ出てくる情念のようなもの。

そういった作品を見かけることは、最近無いよね。」

オジャラ「公募作品なんだからさ、少なくとも、作品を見せて、何か、見る人に語りかけてくるような仕上がりになってないとね。」

そんな話である。

日本イラストレーター協会のコンペのとりまとめとか、自分でも公募を企画したりするようになって、ホントウに、目が肥えてしまい、そのことはついてない。

自分の作品は、生涯、ここまで上がることはないんだろうと思ったり、自分の力の足りなさを見つめなければならないというのは、作家として、どうなのかって思うこともある。

それでも、作家さんの作品の露出をし、印刷物として作品を残す。

WEBページから、作家HPにリンクをはってあげる(ウチのサイトはランクが高いからね。リンクはってあげると、張ったサイトのランクも上がるのよね)

そういう地道な活動を継続するだけでも、作品がよければ、知名度を上げてゆく作家さんを何人も見ている。

知名度だけでなく、露出を続けるということは、すなわち、作家の哲学が磨かれて、作品もよくなっていくんだけどさ。

アートのマーケットというのは、ホントウに狭い世界で、そのことは、研究が進んでからわかったんだけど、こんなに沢山絵を描く人がいるというのに、美術品になれるひとというのは、ほんの0.02パーセントぐらいじゃないかと思う。(アタシの直感的な思いつきで正確な数字ではありません)

1万人に2人。まあ、そんなもんだよね。絵を描く人口を考えれば、もっと少ないかもね。

どうやって美術品になるのかといえば、それは、作品の力のみであり、そういう意味では、コパーの作品は筋が通っている、美術品であるということになる。

それは、作品を見ればわかる。

実際はこんな感じ。

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