◆◆◆ 1591 ★ 作陶-3 ◆◆◆
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2010.10.20. 更新 陶芸教室2日目。 昨日作った陶製の棒は、一日分乾き、アタシは穴を開けに行かなければならなかった。 陶芸というのは、重力と乾燥との戦い。 乾燥しすぎると、穴をあけるのに手こずる。 穴あけは、翌日というのが適正と思う。 最初に全部の穴をあけたのだが、センセイと、S井さんから小さすぎるという助言があり、(乾燥すると土が縮み、ヒモが入らなくなるという理由から、一穴を回り大きくする。 少し、端が割れてしまうものがでるかもな。 すでに、乾きすぎたかもしれない。 しかも、穴を開けるときの慎重さに欠けている。 それから、心の行き届かない造形だと思ったり、同じ長さと太さの品を作るのは、アタシにはムリという気がしてきて、これは仕方がないことなんだって思うことにした。 そのあと、1年ほど前に素焼きしていた茶碗やカップ、猫などに色をつけてゆく。 以前焼いた茶碗は、もっとあった気もするが、仕方が無い。 白天目の地に瑠璃のブチ、口は赤い泥(どちらかというと赤茶のような色彩)でひとぬりする。 正確には、陶芸の図録を見て、心を動かされた作品のパクリなのだが、それは、仕方が無い。 陶芸作品というのは、まず、気に入った作品に近いモノを自分で使いたいというところから始まるのだ。 |
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カエル型茶碗には、黄瀬戸の地に、瑠璃のカエル。目は赤茶色。 その感じの作品は3つほど色つけする。 それから、ゴスで、ブルーの線画の作品を2個。 夕方、センセイが猫といっしょに窯に入れてくれる。 原先生「リカちゃん、これ焼くの久しぶりだよね。何年振りかな。」 手のひらに乗る小さなにゃんこを見て、先生は嬉しそうにする。 オジャラ「そんなに経ってないよ」 よくよく考えると1年振りぐらい。 作陶というのには、お金がかかるんだよね。 でも、ラーメンドンブリ作りたいな。 そうして、カメラ忘れのため、アタシは、また写真を撮影できなかった。 記録は撮らないとね。 はぁ。カメラ探そう。 窯開けは金曜日。 焼け具合が楽しみ。 まだ、経験値が少なく、釉薬に対する関心も低いため、色付けがうまくできないんだよね。 |
この、たけしさんの横にあるのが、アタシが描いたイラスト(油画)。 |
茶道のセンセイであるSさんが、ギャラリーを訪ねてくださって、陶製の軸の話で盛り上がる。 一番有名なのは、人間国宝の品らしい。 いやあ、そこまでは目指していないんだけどさ。 たしかに、同じ太さで、同じ長さに作るというのが難しいというのは理解できた。 型でも使わないとね。 陶芸作品というのは、同じ形の作品をいくつも作れるようになるというところが、金を稼げる人という場所にある。 そういう意味では、職人的な話で、向き不向きは当然にあるけど、絵の良し悪しというのより、造形を作る力が先にあると思う。 絵というのは、そういった、同じ形に作られた品に、更なる付加価値をつけるという場所である。 これが、芸術的陶芸ということになれば、やはり、自由度、斬新さというものが、用の美よりも先んじる作品ということになり、別に、それは、器でなくてもかまわない。 そういう話になる。 |
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もうそろそろ、来年のカレンダーを作らないとな。 まちかど美術館のスポンサーの営業もしなくちゃならないし。 というように、イロイロな話が山積みになっていて、今月の展示を企画変更し、アタシには時間があるはずなんだけど、なかなか進まない。 最近、一人、適応障害の方の絵を見ているんだけど、絵の力というのは、やっぱりスゴイなと思う。 描きたい絵というのをハッキリお持ちの方なので、少し、見て歩いたりすると、キモチが整理されて、絵の方向がもっと進んでくると思う。 というか、まあ、十分に、才能は絵に表れていて、この先、もっと技術が上がってくれば、稼ぐこともできるかもしれない。 まあ、イラストレーターとしてというよりは、作家としてということかもしれないが、イロイロな創作の幅が広がれば、絵の個性はあるので、可能性がないわけではない。 |
実際はこんな感じ。 |
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