◆◆◆ 1589 ★ 陶軸を作る-2 ◆◆◆
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2010.10.19. 更新 アタシは、8本ほど、陶軸を作ったのだがさすがに飽きてきた。 今日は釉薬まで塗りたい作品もあったんだけど、間に合わない。 オットに頼まれている仕事があるんだけど、土曜まででいいってことなので、今日も陶芸教室に行くことにする。 センセイは、いつも、アタシにロクロを使うように勧めるのだ。 アタシの生意気な創作姿勢を凹まそうという魂胆である。 別段、手びねりでも、物凄い速さで作ってしまうし、ロクロに手を染めて、不毛なる作品が大量にできたら、それはそれで、困るよな。 内心そう思いながら、皿というものは作ってみたい。 ラーメンどんぶりとかね。 同じ大きさで、同じ形に作るというものが、難しいということは、理解できているつもりだ。 アタシに、そういう作品を求めている人は、しかも、どこにもいないのだ。 ラーメンどんぶりは作りたい。うん。 |
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それより、箸置きだよな。箸置きを作りたい。 というように、作りたいものは増殖してしまう。 皿に絵を描きたい。 そして、センセイの、心の行き届いた、小さな皿が千円だということを思い出し、やっぱり、やめておこうと思うのだった。 ニンニク型小壺は全部売れちゃったしな。 いくらで売ったんだっけな。 1個800円だったかな。 ははは。今度から1000円にしよう。 たくさん並ぶと、それなりの迫力があったよね。 花を入れると倒れます。 みたいなね。 S井さんとの話。 オジャラ「アタシもしょうゆ注しを作りますよ。しょうゆ入れると倒れるやつ。」 S井「いいねぇ」 オジャラ「しょうゆ、入れても、入れても、こぼれちゃう。イラっとするでしょうねえ。」 という話。 フタの作り方がわかったからね。 アタシも、倒れるしょうゆ注し作ろう。うん。 |
この、たけしさんの横にあるのが、アタシが描いたイラスト(油画)。 |
センセイは、夕方になって、 原「おい、リカちゃん、棒ばっかじゃなくて、何か作れよ。」 センセイも、アタシが棒を作る姿に飽きたのだと思う。 アタシは、天使の塑像を二個作る。 ハート型の顔にして、羽をつける。 目は、いつも難しいと思う。 鼻がないからね。 目の表情を研究して、もう少し、自分のものにしなくてはならない。 そういう問題意識はある。 造形の自由度は、増してきている。 重力と戦って、塑像は、どんどん傾きかける。 だけど、倒れない。 そういうところで作品を留まらせたい。 少し体をねじらせたりもする。 あまりねじると、破損してしまう。そういう、土と、重力、 それから、乾燥との戦いなのだ。 満寿夫の陶芸作品には、そういうものが表れているものもあり、そうでないものとの差が大きすぎるので、なんとも言えないけど、まあ、そういう作品には引き込まれた。 でもまあ、彼の作品に関していえば、銅版画のほうが好きかな。 ハッパ型の皿はなんとかしたほうがいいと思う。汗。 |
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それから、碌山(ろくざん)こと荻原守衛(おぎはらもりえ)。 (1879〜1910)。 の造形の話になる。 オジャラ「あの人は天才だった。30歳で死んじゃうなんてね」 でも、作品が残って、地元に、美術館まで持てて、 それは、品物がブロンズ像だからだろうという理由もあると思うけど、幸せな作家だったと思う。 原先生「ああ、あの人の作品はいいね」 S井「凄みがあるよね」 という感想。 良い作品というのは、誰が見たってそう思うものなのだ。 オジャラ「ロダンに影響受けてますよね、アタシ、画像みたときに、ロダンの作品かと思っちゃいました」 あのように、陰影を深く作れる作家は、実のところ、そんなに多くないのである。 普通に光が当たって、黒と白が配置され、しかも、顔だとわかる、本人に似ている、 というような、そういう造形というのは、ホントウに高い技術に支えられているということになる。 ミケランジェロもすごいけど、ロダンもすごい。 タアシは、ミケランジェロのピエタ像のことを思い出して、自分の天使は、ずいぶん遠い場所にあると思った。 オジャラよ、目指すべき場所を間違えるな。 たとえば、どんなに技術が上がったとしても、アタシは、ミケランジェロにはなれない。 が、アタシにしか作れない造形は、残すことができるかもしれない。 空を飛ぶ(自由な造形の)ために天使を作ろう。 |
実際はこんな感じ。 |
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