◆◆◆ 1577 ★ あとりえの掃除 ◆◆◆

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2010.9.23. 更新

テレビ用に描いた絵が大破していて、アタシは、相当に落ち込んでいた。

隣の家から、また、桐の木の苦情がきたので、アタシは、また、アトリエに桐の木を切りに行く。

そうして、今度は、裏にあるブロック塀のツタも取ろうと決意。

ああ、黒い毛虫。

クロアゲハの幼虫かもな。

アンテナのようなものが端についていて、ピクピクと動かしながら、前に進むのだ。

蝶というのは、間違った木に移ってしまったら、もう、葉をたべることができなくて死んでしまうのだ。

だから、幼虫の間は、その一本の木を間違えないように、慎重に進み、生き抜くのである。

蝶になり、自由を手に入れるまでの不自由ということになる。

アタシは、ツタの中で生き抜く、小さな命を取り去ることはできないで、彼のゆく道筋のツタを、ひとまとまり、残すことにした。

そのほかのツタはひきぬいて、除草剤を使うか迷ったが、蝶のために、使わないことにした。

人間の便利のために、何もかも殺してしまうというのは、本当に身勝手だと思ったり、ツタや桐の生命力というものに、自然のエネルギーを感じないわけに行かない。

自然分解しないものを作り、地球を汚しているのは、人間だけなのだと思うと、情けなかった。

そうして、絶滅動物を保護だとか、地球を守ろうなどという運動も、人間がいなくなりさえすれば、全て解決するのだという思いになり、生き続けるということは、一筋縄ではないのだとも考える。

黒アゲハが、ツタを食べるとは知らなかったよ。

自宅に植えているアゲハ蝶用のミカンの木も、順調に大きくなっていて、どんなに蝶の幼虫がきても、枯れるということはないぐらいに成長してきた。

そうして、ミカンの新芽をイモムシが全部食べてしまうので、このミカンの枝には、花がつくこともなく、実がなることもないのだと思うと、どうすることが正しいのかということの、判断がつかなくなってくる。

痩せた土地でミカンなど作っても、どうせ食べたりはしない。

蝶を養殖して、区内に放している活動をしている人がいるのだと聞いた。まあ、木の一本、蝶のために植えておくというのも、ある種の道ではある。

今日は、蚊取線香を焚いたので、蚊にはそんなに刺されなかった。

奥の塀のツタと、入り口の桐の木を切り、もう夕方になっていたのだが、思い切って、屋根の修理もすることにした。

アタシは、体重が男の人よりは軽いので、ハシゴで正面から、二重になっている庇の上から、屋根にはいあがり、修理の箇所にクギを打ち付ける。

一枚のトタンがはがれて、木がむき出しになっているところに、トタンを乗せ、釘や木ねじで、ガッツリと止めてゆく。

近所の人なのか、何度もアトリエの前を通り、とうとう、アタシが屋根に乗っているところを見て帰った殿方がいた。

なんなんだろうね。

近所に引っ越してきた人で、アタシのHPの愛読者なのかもと思ったりもした。

アタシがアトリエに行くのは珍しいからね。

きっと、気づいて、どんな人間なのか、確かめにきたんだよ。ははは。屋根にクギを打ち付けているときに、彼と目があった。

彼は、そそくさと、その場を立ち去って行った。

自宅に移したバラは、愛猫の糞尿の被害のため、とうとう立ち枯れ手しまい、アタシは、アトリエで伸びやかに咲いていたバラを、自分の利便性から、移し、枯らしてしまったことを悔やんでいた。

そうして、もらった、ツバキも山茶花も、ヤッパリ枯れてしまい、もともと、何も育たない場所だったことを思い出した。

ドクダミの地下茎の毒にやられたのかもしれない。

鉢に植えるべきだったよな。

そうして、あれこれと、悔やむ話ばかりを思い出し、からしてしまった植物というのは、もう、生き返ることもないのだから、考えても仕方がないと思ったりもする。

桐の木も、大きく葉を広げ、日光を独占したため、あとりえの路地裏の鉢植えを全部枯らしてしまった。

植物のバトルというものは、想像を超えた戦いであり、生きるということをまた学べたと思う。

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