◆◆◆ 1574 ★ マン・レイの話 ◆◆◆

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2010.9.20. 更新

マン・レイ展に行ったとき、グッズショップで、ゴールドの唇形のピンバッチが売られていた。

Gジャンにつけたいわ。

そう思ったが、図録と入場料で、すでに4500円も使ってしまっていたので、買わずに帰る。

二科会友の北沢好人さんから、二科の入場券が届いたので、再び国立新美術館へ。

写真のコーナーには、本当に心が動かされ、写真とは何かがわかっている人が審査をしているのだと思わされた。

それに比べて、洋画は、相変わらず、ドングリの背比べという絵が大量に並び、二科入会が人生の目的になっている、自称画家の墓場だと思わされた。

洋画家は、実際に作品を売買して、成功した画家の作品を、もっと研究すべきだと思う。

大作は、画材店や、画壇の周辺(額縁や、運搬会社)を儲けさせるだけで、画家を幸せにしたりはしないのだ。

北沢さんの作品には、小さな文様のような絵文字が書かれていて、(^□^)とか、(・_・)

などという文字が絵から飛び出てきて、新しいと思った。

金魚と、人体を組み合わせたシュールな画風も、人目を引いていた。

そうして、田中一村も、画壇に落選し続け、とうとう、画壇の中心で絵画業界を引っ張るというところには届かなかった。

という話を思い出した。

が、奄美で、自分の命を削った作品を作り、そうして、その作品たちが、奄美の人に大切にされ、日本を巡回するのだと思えば、画業として、これほど名誉なことはないと思うのだ。

そう、100号の絵を描き、賞を取ることが、画業ではない。

もっと、本質的に、どんな絵にならなければならないのか、そこを突き詰めて、作品作りをしなければならない。

という話である。

隣の隣の部屋に、キタジマヒロミさんの作品も展示されていた。

絵に行き詰まっているのかなあ。

アタシは、そんな風に思え、絵を見るのが辛かった。

50号の四角い額は、もう、何度も二科を旅しているので、随分と痛んでいて、ヒロミさんのことが、なんか心配になった。

元気なんだろうか。

そのあと、イラストレーションのコーナーに行く。

つしまひろしさんの作品が、特選を取られていた。

ウチの画廊にも同じイラストのCG作品が応募され、その作品は落選だったのに、二科では、特選なのだ。

不思議だよね。

審査員によっても、随分と評価というのはかわるものである。

のはらゆうたさんの作品も入選していて、そのことには、ホントうにビックリした。

アタシは、彼に、今年の二月の画廊賞展のときに、「良い絵は、必ず世に出られますからね、頑張って」

そう伝えたばかりだったからである。

一年で、随分絵が安定してきた。

絵というのは、ごまかすことができないし、並べば優劣がついてしまう、恐ろしい世界なのである。

マンレイの言葉、

●面白がらせ、うるさがらせ、困惑させ、煙に巻き、考えさせようとしている。

まさに、コンテンポラリー作品というものは、こういう作品でなければならない。

彼は、常識の破壊者、とか、まるで魔法をかけるように藝術にかえてゆく。などと、評論されている。

ジャンルにこだわらず、新しいスタイルを取り入れたのだとも。

●わたしは、ついに、厄介な絵の具という媒体から、自由になりました。私の新しい手法ほど、主題が実物に近いものはありません。

と語っている。

絵の具(描くという行為)からの開放。

アタシは、オシオッサさんのことをチラリと思い出し、目に見えないものを作ると言っている。彼女の話が、少しわかったような気がした。

二科展を見学したあと、マン・レイのグッズ売り場でピンバッヂを求めようとすると、売り切れていて、気絶しそうになった。

ああ。そうだよね。

アタシが買おうと思う品なのだ。

誰だって欲しいに決まっている。

アタシは、あと3つ残っていた、ゴールドの唇のストラップを買って、不忍画廊さんで開かれている、長島 充先生の野鳥の展覧会に流れていった。

おじゃら画廊

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