◆◆◆ 1547 ★ 猪熊弦一郎、ジョゼフ・コーネル×高橋睦郎 ◆◆◆
2010.5.27. 更新 猪熊弦一郎さんの番組を見る。 なんて自由なんだ。 力の抜けた素描もいいし、本画も素晴らしいと思った。 廃材で作られた小さな玩具とよんでいる作品たちも心が引き込まれた。 あのような自由さというのは、なかなか手に入れられないものなのだ。自由であり続ける。そういう結果を出し続けるということそのものが、業である。 そういうことになる。 自由さというのは、なかなか手に入れられない。 自由度があがればあがるほど、見る人を引き込む力も増してくる。 ただ、なかなか、目の肥えた人というのは存在しない。 収集家を名乗る輩であっても、ルーペなどを持ち込み、美術館で絵の前で絵の鑑定のような話をしている人に出会うと、ああニセをつかまされたのだと思わないわけにゆかない。 アタシが見ても、バレバレ。 その絵(本画のほう)もまたショボイ。笑。 絵の買い方が間違っているということになる。 ネームバリューや、価格が高いから、(価値があるに違いない)と思い込み、画商のモミ手にはいそうですかと、鼻の穴を広げているからそういうことになる。 いやまあ、そういう人が、美術業界を支えているといっても過言ではない。だから、アタシは、商売の邪魔をしたりはしない。 アタシだって商売人なのだ。 |
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あら、この絵は、ちょっと他のよりヨカッタですね。 などと、無責任な相槌を打ったりもする。 いやまあ、そんなド素人は、そんなにはお目にかかれないんだけどさ、見かけたのは、一人や二人ではない。 というか、まあ、あまりの知識の無さに、なぜ、こんなに知識がないのに、絵を買いたがるのかが滑稽なのである。 マーケティング畑の人は、画廊を経営しているというと、皆さん、『絵には価値があるのか?』という質問をアタシにしてくるから笑える。価値があいまいで高額商品なのだから、価格の構造を知ってから投資するという慎重さは必要ということになる。 アタシは、なるべくシンプルな説明をし、彼らは彼らで多いに納得する。 長いこと判らなかった、アートの値段というものが明快になるからである。 猪熊弦一郎さんの作品は、アタシの作品にだって、似たのはあるよなあと思ったり、ビミョーに廃材だし、 鳥は描かないなあと思ったり。 あのように大きい絵は、まだ何点かしか作っていないよなと思ったり。 |
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そのあと、川村美術館で開かれている ジョゼフ・コーネルさんの箱の中にイロイロな品物がコラージュされている作品群を拝見。 川村で、実物を何点か見たことがある。 どの作品にも引き込まれたことをアタシは思い出した。 美術館のキュレーターさんは、まだそんなに価値がなかった彼の作品を集めたということになり、川村が、ジョゼフ・コーネルを育てたといってもいいと思う。 ひょとしたら、この記事は(アタシの私見かつ類推のため)間違っているかもしれませんが、日記なので、間違いご容赦下さい。 アタシには、少なくともそんな風に思えたということになる。 何故そう思ったのかといえば、あそこでしか見たことがかなったのに、記憶にのこっているからである。 美術館収蔵になれば、そこを発信地として、アートファンの間に情報が広がり続ける。 アートの世界というのは、物凄く限られた、小さな箱の中のような話。 一つの小さな箱に、儲けようとするひと、絵を描く人、文句ばかりを並べる人、きちんと理解していないのに自分の意見を主張し混乱させるひと、集めたがる人などがギッシリとひしめいている。 その箱の中で、どう生きるのか。 そういうことも考えなければならないということなのだ。 |
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画廊の新しいチラシができてくる。 今回のは一年分を掲載。 来年の6月まで使えるように設計。 チラシの息が長くなることこそ、作家さんの作品の露出も同時に増やせるし、こちらの懐にも優しい。 一週間単位のポストカードを何百枚か作り配るというのでは、コストパフォーマンスが悪すぎる。 昨日、Y商店街の会長さんがウチの画廊にいらしていたときに、チラシは丁度到着したため、少し、お店においてもらうようにお願いした。 オジャラ「まあ、これはアタシの自腹なんだけどさ、ギャラリーが作家さんにできることは、作家さんの作品を印刷物にして残してあげることだよ」 Y商店街「いやあ、オジャラさん、画廊業真剣にやったほうが、儲かるんじゃないの?」 オジャラ「あのねー、千住で絵を買おうって人はいないのよ。買うのであれば、銀座に行くでしょう。」 Y「いやさぁ、話聞いてるとさー」 オジャラ「絵の方が儲かるに決まってるよ。まだ儲かってないだけよ。うふふ。」 油絵のサイトが2008年のままというのに、愕然としないわけではない。新作のいくつかは、ギャラリーにあることはある。汗。 オジャラよ、もう、2010年だよ。 そうだよなあ。しかも、もう6月だってば。 正確には、アトリエは絵で満杯になってしまい、新しい絵が描けないという事情がある。 |
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