◆◆◆ 1546 ★ 絵はどこに行くのか  ◆◆◆

2010.5.27. 更新

知らないということは恐ろしい。

全く絵を買ったことの無い人の絵の買い方というのは、実に興味深い。

気に入ったから言い値とかね。

アタシの場合、最初に買った作品はオギスのリトグラフだった。

そういう意味では、ちゃんとした筋(ちゃんとした画廊から買っていたとワケで、それはそれでスゴイか笑。

サインの無い品だったので、バブル期ではあったが、額付き22000円ぐらい。今でも自宅に飾ってある。

なかなか良い作品だったと思う。

次もオギスのリト作品で、44000円。

a0ぐらいの多きさで、額だけだって2まんぐらいはするという代物。

絵の値段というのは、2-3年で倍ぐらいになってしまうというのにも驚いた。まあ、オギスが亡くなってしまったということもあったと思う。バブルだったし、買った場所がデパートだったからとか。

どっちにしたって、新人OLの小遣いで買える程度の品物である。

そのほか、何点かは、バリ島の美術館に地続きの怪しげなギャラリーにて購入。

3枚で35000円とかね。マージンくれたらトモダチねとか。

まあ、日本で買うよりは、よっぽど質の高い品がゲットできる。

それは、アナタの目利き具合にもよる。

お宝何でも鑑定団などを拝見していると、

『残念ですが、、、』的笑いは、いつ見ても人間の本質だと思う。

それにしたって、買うときには、そういうことは考えないという魔力が、アート作品にはあると思う。

『この作品は値上がるかもしれない』

みたいなね、画廊の言い分を鵜呑みにする買い手の勉強不足に問題があるだけなのだ。

アートと美術品との違い。

芸術品と、美術品の違い。

思えば、そここそが、アタシの研究課題であった。

美術品とは何ぞや。一体誰が価格を決定し、誰が買うのか。

まあ、そういう、世界的な流れや相場というものがあることを知ったことは、有意義な一歩だったと思う。

最低でも美術品にならなければ、絵が世に残される芽もない。

そういうことになる。

この前、八木美術さんが、画廊に来てくださった。

そうして、イロイロ作品をみてくださって、それから、アタシの素描も見てくださったのだが、小品を買ってくださった。

目の肥えた方(ホンモノの美術商)が、アタシの作品をお金を出して買ってくださる。

それは、ホントウにうれしいのである。

近所の人などは、フツーにトイレに飾っちゃうもんね。

まあいいんだけどさ。どのみち、数秒で描いた作品だし、習作というのは、将来的な値段はそんなには上がらないのだ。

一枚買ってくだされば、大きい絵の具が2本も買えるのだ。そうしたらまた絵が描ける。

あいだみつをの書がトイレに飾られていたのを、本人が見て、もっとイイ作品を持っていったという話を思い出した。

そうだよ。

トイレにしか飾るところがない。もしくは、トイレに飾りたい。

アタシだって、トイレにも絵を掛けてある。毎日見る場所なのだ。

と思い直し、気持ちを仕切りなおす。ポジティぶだわぁ。笑。

習作を重ねた上で、その結果、本画が、ヨイ作品に昇華されている。

だから、価値が上がってゆく。

その流れだけは間違いが無い。

作品が良いということは、すなわち、今目の前にある作品だけがイイという場合だってある。

画業というのはそうではない。

よい作品を作り続けた、その連続した業。

そのことに対し、美術品という間口は、やっと、小さく開くのである。

美術品なので、美意識が介入しているということにも間違いが無い。

昨今の現代美術、現代芸術とは、一線を隔しているような気持ちにはなる。

確固たる美術品のマーケットというのは存在し、不景気になれば有名作家作品が値崩れし、買うほうの回転は、今までよりもあがってくるという実態にも驚いた。

逆に、新鋭の入る余地が全くなくなってしまい、個人的には途方に暮れているという表現が正しい。

久しぶりに花の絵でも描きたいなあ。

今扱っているいくつかの仕事を早く終わらせないとね。

エッセイの修正、雑務が終わり、ギャラが入ってきたら、決算の書類を作り、、、、、。

はぁ。やることがなくならないよ。

おじゃら画廊

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