◆◆◆ 1525 ★ ジャンヌ天国へ ◆◆◆
2010.4.11. 更新 クリストさんのパートナー、ジャンヌが、天国に旅立った。 人間には寿命というものがある。 前回来日されたときに、公演を聞きに行けたということは、奇跡に近い。 このご縁にホントウに感謝したい。 右の素描は、その公演を聴きながら描いた似顔絵。 どの絵もなかなかのデキだったと思う。。。。 が、ビミョーに、紛失中。 絵の数が多すぎて、探すことは不可能だ。 残念ね。 見つかったら、大きな額に全部貼り付けて追悼展示をしたい。 |
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クリストさんとジャンヌの、ザ・ゲートという作品をテレビで見たときには、アタシは、まだ、芸術というものが、なんなのか理解できていなかった。 彼らの作品に触れたことは、「芸術とは何か」の理解を進め、アタシが、コンテンポラリー作品に足を踏み入れる、大きな転機になったと思う。 創作というものは、作品を作るということだけではないということを、私に教えてくれた作品ということになる。 もちろん、デュシャンの泉や、藤浩司さんのゴミを展示する作品など、見る作品、見る作品が、現代アートにあふれていて、コンテンポラリーアートのエネルギーは、次々と私の中に流れ込み、とうとう、そこに居座ってしまったということになる。 作品を見て、学ばなかったこともなければ、考えなかったこともない。 何よりも、記憶に深く刻み込まれ、その面白さに、私の心は捕らえられてしまった。 そういう表現が正しいのだと思う。 こうなると、近代絵画程度のありきたりの表現では、もう、つまらないという評価になってしまう。 人間の経験値というものは、恐ろしい。 それは、ゲームの経験値と似ている。 どんなにお金を稼いだとしても、経験値が足りないと、前に進めない、そういうゲームをいくつも見ている。 逆に、経験値がある程度あれば、万難廃し、前に進むことができる場合も多い。 サラリーマン的な展開に驚きを隠せない。 |
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この前のアートフェアで、クリストさんの素描作品を見た。 過去見たことのある中で、もっとも充実した作品だった。 前のが悪かったということではない。 自分の作品を販売し、大きなプロジェクトの数々を実現してきた、その才能には、全く敬意を表さないということができない。 そうして、その素描を見れば、目の肥えた人であれば誰だって欲しいというクオリティだということになる。 かわまつさんというギャラリーでは、よく、クリストさんの作品を拝見することができる。 きっと、友好関係があるんだと思う。 例えば、クリストさんが亡くなったとして、そのあとも、膨大な数の写真や図録、素描は歴史に残るのだと思う。 それが、美術品ということになり、その地位を築くまでに、偉業を成し遂げ続けたという実績がある。 ということになる。 |
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クリストさんは、ジャンヌとの共同の名前で、これからも作品を発表し続けると語っていた。 エネルギッシュな、ジャンヌのハスキーボイスを思い出す。 そうして、クリストさんは、「この作品には意味がない」 といい放ち、自分たちのプロジェクトが実現するまで、何十年も、周囲を説得し続ける、その創作姿勢というものにも未だ驚いてしまう。 仏教国では、神様が纏う布でもある、オレンジ色のカーテンは、風に吹かれ、今も私の心の中でゆれ続けている。 ジャンヌなら、きっと、あっと驚くようなアートで、天国にいる人たちも、楽しませてくれると思う。 ご冥福を心よりお祈りします。 |
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