◆◆◆ 1524 ★ 円空仏-2 ◆◆◆
2010.4.11. 更新 円空は、斧で割って、ザックリとした造形を先に作るんだけど、あまった材料にも顔を彫り入れて、子供にあげたり、村人にあげたりしていたのだと思う。1体のメインと、小さい仏像何百体も、一本の木が作られるということになる。 病気で苦しんでいる母と幼子が、心の支えにできるものは、信仰しかなかった時代である。 病院すらない。 お金もない。 そういう人たちに、小さな木っ端で作った小さな仏様をあげて歩いて旅を続けたんだと類推できる。 それこそ、僧たる者の勤めだろう。 個人的にはたいした宗教心があるわけではないが、その有り難さは理解できる。 今のように、インターネットの知人が、世界中にいるという時代ではないのだ。病院だって、ご予算に応じて、いくらでも選べる時代である。 食べるものもろくになく、雨風しのげるボロ屋に住み、絶望の中から唯一人を明るくできるのは、信仰ということになる。 それは、バリ島に住んだから、信仰に生きている人たちを毎日みたということはあると思う。 宗教への理解というのは、ずいぶん進んだのだ。 |
おおっ。2007年ごろの個展風景。 モノが少なかったよね。 |
もともと、バリ島暮らしだから、あちらこちらに神様がいるという生活には慣れている。 信じた者が勝ちである。 電話やパソコン、冷蔵庫にも神様が宿っているのだという。 理由は、値段が高かったからなのだとか。 まあいい。 そう考えるのは構わないが、お供えを置き、アリやネズミを集めてしまったり、聖水と呼ばれる水を毎日振り掛けるから、壊れるということは、早く理解したほうが、懐のためだと思う。 まあいい。人の金なのだ、 信仰に従い、機械が壊れたとしても、別にアタシが困るということでもない。 日本の地方の信仰というのは、もともとイロイロな神様を信じるタイプの、多神教だったと類推できる。 妖怪やなんかへの恐怖なども、そういうことに似ているなあと。 |
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仏教は、もともと科学的な信仰であり、本来、仏像なんかはなかったらしいんだけど、人間というのは、目前の仏像に手を併せてしまうという構造にできているのだ。 あると、より速やかに祈りを促せる。 そういう理由から、円空は、旅をしながら、仏像を作り続け、感謝されながら、また次の村にたどり着くという生活を続けたということになる。 解説の人が、 「世界中どこを見ても、全く見たことの無い造形だ」 と話していることからも、円空はコンテンポラリー系の芸術家であったと評価できる。 そういう、造形や、表現作品の結果というものは、何百年前であっても、作家の意思というものを感じることができるのだと思うと、また嬉しくなる。 しみじみと、円空仏の有り難さに触れ、やはり、仏像を作りたいというキモチになる。 まあ、当面は、テラコッタや、そのほかの土で、小さな品を沢山つくる感じになると思うけどね。 彫刻は、当分、技量的にも、場所的にもムリってことなのだ。 その前にエプロンを作らないと、、、、。 優先順位は、依然、エプロンの方が高い。 |
来た人に、勝手に並べられてしまう。 |
円空の、その創造の根幹にあった信念に触れ、今まで、自分の中でもやもやとしていたものが、なんだか小さく思えてくる。 別段、作品が評価されないからといって、卑屈になることはない。 まだ、それほどの作品を作ったわけではないし、400年先に、大切にしてくれた人の手で作品が残れば、それはそれで、画家としての成功だったといえなくもない。 とあるSNSの掲示板で、流れ流れて、作品の良し悪しは、知名度で決まってしまうという話で落ち着いたトピックスがあった。 アタシが、「作品がよければ、審査する人は、その作品に気づくと思うし、もし、気づかれないのであれば、作品が悪いからだ」 と書いたら、ミナサマの怒りをかい、潰されそうになり、面倒なので退散した。 創作を志すものであれば、「よい作品を作る」という根本は、最低限必要だ。 それ以外の話は、あとからついてくるものなのだ。 よい作品を作り続けるということ以外に道はない。 道は、一筋であり、それ以外は「惑い」ということになる。 もし、作品以外で一時的な評価をされていたのだとすれば、その人の作品は、後世に残ったりはしないのだ。 それは、扱っている人のほとんどが理解できているはずである。 どの扱い者も、ホンモノだけを扱いたいという信念はある。それ以外の事情で生きなければならないというのもまた現実だ。 |
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