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2010.2.1 更新

上村 松篁(うえむら しょうこう、1902年(明治35年)11月4日 - 2001年(平成13年)3月11日)

1万坪の土地に、鳥を200種類以上も飼育。

コオロギ養殖やら、水菜の栽培も敷地内で行われる。

飼育員は6人、卵から羽化した鳥達は、人間に慣れていてスケッチし放題。

恐るべし上村家。

ママが上村松園。

子供も有名日本画家。

三代で日本画家ってスゴイよね。

花鳥の人って、鳥をどうやってデッサンするんだろうって、ずっと知りたかった。

花は金出せば買えるけどさ。

まさか、専用の敷地で放し飼いとは存じませんでしたわ。恐れ入りました。

ああ、画家というものは、そういう職業なのだ。

と思った瞬間。

貧乏人が画家を目指してはいけないのだとも思えてくる。

余りの差に愕然としながら、鶴の作品も拝見。

若き日に描いた作品は、躍動感に溢れている構図だが、75歳になって描いた作品は、静やかなる美しさからオーラ。

ま、そういうことだよね。

日本画の世界の人は、まず品。

その次に、静やかなる美しさ。

最後に自分の作風。

的なポイントが大切。

入江波光が、松篁の絵は誰もが想像できる概念的なものから観念的なものにならなければだめだとダメだしし、松篁はへこむ。

そうだよなあ。カーライの図録を見れば、その意味はあっという間に理解できる。

日本画であっても、目指すところはそこなのだ。

それは、どの画材であったとしたって、創作であるのなら、目指すべきところは同じところにある。

そこがどこなのかを知らなければならない。

品の無い絵の人は、日本画に足を踏み入れてはいけない。

そういうことになる。

まるで、相撲協会のような古さを感じながら、伝統文化を守ることの難しさや、陳腐、守ることに固執した無理やゆがみのことも頭の中に浮かぶ。

逆に、画壇で評価をされようと思えば、品と美意識は不可欠。

その上で、自由さがあるかとか、その人の絵になっているのかという話がなされるということになる。

しかも、絵は、ものすごく上手い絵でなくてはならない。

日本画という画材の特性もある。

粒子が粗い上に粘りがないため、本画にする技術は、ものすごくむずかしいとアタシは考えている。

そのための素描の鍛錬というのを死ぬほどしないと、上手く描けないのよ。

「天地の霊気」

作品から、天地が授けた、霊気が、溢れ出ていないとならないのだという。

そうだよね。行き着くところは、霊ということになる。

それは、哲学とか宗教を越えた表現であり、アタシは、霊という気配について、この絵でよく学べたということがうれしい。

バリ絵画なんかには、そういうの感じたもんなあ。

いよいよ、目に見えないものが、絵に入って来る。

そういうことになる。

ああ、そういえば、オシオッサさんも、目に見えないものを表現するって言ってたけどな。

霊とか、目に見えないモノとかではないとは言っていたが。

ビニール袋に入れた息だもんな。確かに、見えないということは理解できる。

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