◆◆◆ 1404 ★ 山下菊ニさんの番組を見る ◆◆◆

2009.9.14 更新

山下菊ニさんの番組を見る。

ああ、徳島に美術館があってヨカッタよ。

東京では、(絵を描くひとが多い上に、学芸員の勘違いがはなはだしくて)こういうわけにはゆかない。

山下の15箱もあった作品を、学芸員さんが整理してくれて、展覧会まで開いてくれるなんて。

そう、ローカルの美術館は、そうでなくてはならないと思う。

地元に根ざした作家さんを世に出す。

それこそが、美術館、学芸員の役割だ。

学芸員の中には、勘違いしている人もイッパイいる。美術館や税金から捻出された予算は、アナタの個人的趣向による収集場所ではない。

名画1枚、数億を払う話を考えれば、地元で、結果を残してきた作家さんを、一人ひとり引き上げて、良い絵の露出を増やしたり、図録を作ったり。

それこそが、学芸の本来の姿とアタシは考えている。

本当に、どこぞのミュージアムの、学芸員さんの勘違いした発言には驚いた。

そのことは、今でも心に強く残っていて、隣にいた、別のローカルな美術館の学芸さんは、地元の作家さんの紹介を熱心にしていたのに、『勘違いしないでほしいですが、私たちの仕事は、そういうことではありません。』キッパリ

という演説には、本当に気絶しそうになった。

そんな人が、まだイッパイいるのかと思うと、日本の美術教育というのは、根本をてこ入れしないとならない。

アタシも、ローカルな作家さんの引き上げに熱心な学芸員のいる県に引っ越そうと、真剣に考えている。

今は、まだ、千住で細々とやるけど、どちらにしたって、アタシのスケールには小さすぎる。

乾燥棚がイッパイだという理由で、絵が描けないというのは、何かが間違っているだろう。

田舎に行けば、広い空き家などを無料で作家にかしてくれるところもイッパイあるらしい。

ということで、おじゃらの研究をしてくださる学芸さん大募集。笑。まだ生きているので、作品の謎を説くのは、本人に説明を受けられます。

みたいなね。

この日記には、アタシの意見の全てを書いているということではない。

アタシは毒舌なので、本音のところ、リアルでは、もっと厳しい話ばかりだけど、WEBでは、問題が起きない程度の話にとどめているという事に過ぎない。たはは。これでも。笑。

そういえば、山下さんの作品の解説、違っているような気がしたけどな。

『あけぼの村物語』 1953年 日本画廊蔵

随分痛んでいるのが気になった。画廊所有なのにね。

あけぼの村物語は、強欲な地主というのが登場人物。

地主に厳しい取立てをされ、農民が反発し、地主の家を襲うという事件が発生。

絵のモチーフには、地主が圧力をかけ、銀行を潰してしまったせいで、預金通帳のお金が泡と消えて、自殺したおばあちゃんの首吊りの絵。

農民は、ニワトリや犬の姿。

地主に殴られて、事件の帰り道溺死したというサラリーマンの血の海で死んでいる絵と、魚。

なんか、嫌な絵だよなあ。

シュールっちゃ、シュールなんだろうけど、おどろおどろしい。

この絵の中には地主はいなくて、地主は、この絵を見ているという想定なのだそうだ。そこまではいい。

擬人化された犬や魚の顔がユーモラスなどと解説していた。

のんきな解説者である。

アタシの解釈では、地主からみれば、農民は、犬や魚と同じ扱いってことなんだよな。

人間に見られてないっていう話でね。

権力者というのは、自分の社員であっても、ウチで雇ってやっているぐらいにしか思っていない人は大量にいてね、そういう話に似ている。普遍的な人間の意識みたいなものを感じた。(バリ島は貧富の差が激しかったからね、とくに、身にしみる)

そのあと、狭山事件の作品なども紹介され、山下が、差別について考えさせられるような作風を残されたという話で番組は終わる。

若い頃の、ダリの絵の模写というのは、なんか、もっと見てみたいよな。

アタシがシュールに進まないのは、ダリの絵が上手すぎるからだよな。

あんなに上手く描けるはずがないもんね。笑。

マグリットにしたって、美しさの中に、面白い構想が広がって、ホントウに素晴らしいと思う。

スゴすぎて、目指せない。笑。

中途半端な作品なら、作らないほうがマシだもん。

別に、キライということではない。

50号ぐらいの絵なのであれば、なんとか、2個ぐらいのシュール性は入れられるかもしれないけど、F4には、未だ顔しか入らないという技術的稚拙さ。

欲張るのはよそう。

そういう気持ちである。

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