◆◆◆ 1331 ★ 澄夫と志功 ◆◆◆
2009.6.5 同じ版画なのに、画業に差ができたのは、どういう違いがあったからなのか。 志功の作品は、もっと大型で、白と黒の濃淡がはっきりとした、ゾクっとするような構図の絵が多い。 川上の作品は、全体的に彫りがほどこされており、全体が、黒と白というよりは、グレーっぽくて、遠くからの引きが弱い。 近寄って確認しないと、何の絵か解らない作品が多いのだ。 絵の差ということになる。 川上の場合絵も描いているけど、同じモチーフを並べると、版画作品の出来は物凄く高い。 志功は、油彩はヘタクソだけど、日本画材などを利用した素描は、版画と並んでも、色も美しく、素描の上手さや躍動感が伝わってくる。 ま、そういった違いかなあ。 志功の図録は、私が絵を描く前から持っていたし、よく眺めていた。 川上の図録は、買うほどでもなかった。 まあ、そういう差なのだと思う。 それでも、装丁の仕事や、自分の版画作品集をいくつも作って残したエネルギーというのは画業そのものでアタマが下がる。 |
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川上は63歳まで英語教師の仕事も続けていた。 志功は、奥さんが生活を支えていたという事情もあると思う。 お金がなければ絵など描けないのだ。 最近は、節約のため、図録や展覧会に行く活動を控えめにしている。 画廊留守番という仕事のため、出歩けなくなったという理由もある。 5年ぐらいかけて、大量に見て歩いたので、ある程度、ノウミソが情報に満たされたということもあるのかもしれない。 画壇の絵などは、見に行ったからといって、自分に影響を与えるという絵は見当たらない。 というか、「自分の絵」を描こうという気概のある人の絵があまり多くない。もしくは、そういう、気概のある絵すら、大量のそうでない絵の中に埋もれてしまっている。 そういうことのように思う。 画壇の図録に載る程度では、絵の認知は高まらないということになる。 |
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澄夫の作品は、どの作品もコンディションがよく驚いた。 一人の人が2000点も所有していたというので、その人が大切に保管されてきたのだと思う。 それでもまあ、63歳まで仕事をされていたわけで、それは、片岡球子先生であってもそういうわけで、日本の絵への理解というのが、本当に低いと思わないわけには行かない。 死んだ人の作品は、高額で売買されているのに、もしくは、眼の色を替えて、買いに走っているのに、生きている作家の話になると、学芸員ですら「お分かりでしょうけど、ウチは、そういうものを扱う美術館ではありません」 みたいな発言には驚いてしまう。 一枚ぐらいは、見てから、判断するべきだろう。 特に、ローカルの美術館であれば、地元の作家さんを取り上げるというだけで、その人の認知があがり、画業に敬意が集まり、絵が売れて、また、新しい絵が描けるようになる。 そういうムード作りをするのが、ローカルの美術館の役割ではないのか。 地元で活躍している作家の作品を取り上げて、コツコツと知名度を上げれば、絵がよければ、中央の美術館も気づくことがある。 一枚でも収蔵ということになれば、恒常的に、展示され続け、他の絵にも関心が向くようになる。 そういう活動こそ、ローカルの美術館は目指すべきなのだ。 |
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自分の版画作品も、もう、何年も前に作った作品と思うと、それが驚くよね。 アトリエは、もう、作品に溢れ、作業をするというのが難しい状態である。 少し作品を処分して、スペースを空けないとね。 |
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