◆◆◆ 1325 ★ ローカル紙の取材を受ける ◆◆◆

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2009.6.4

やなせたかし展は、根津なので、その御仁の岐路、根津までご一緒する。

それから、ゲタで、東大正門まで、ゆるやかな坂道を上り、剥製屋の安売り品を冷やかし、地味な詩人の記念館を通り過ぎ、弥生美術館に到着。

小さなカフェが入り口に併設されていて、美術館にはカフェがつき物なんだと思ったりもする。

岡本太郎の美術館にも、熊谷守一の美術館にも、小さなカフェが併設されていて、どのカフェも利用したことないけど、思い出すには思い出す。

御茶ノ水の、世界観ギャラリーの入り口にもカフェがあるよなあ。どのカフェも小さい。

おおっ。アタシのギャラリーにも、カフェが併設してあったっけ。

昨日、ローカル紙の取材のときにも、「カフェもあるんですよね」

などと聞かれ、

「あ、カフェは、紹介しなくていいです。フツーのお客さんは、別なカフェを紹介して、そっち行ってもらってますし。ウチでも構わないとか、どーしても、ウチで飲みたいという人は、まあ、仕方がないので、お茶だしてますけどね。

あとは、作家さんや、作家さんのお友達がお話を楽しむ目的で使っています。ので、紹介しなくていいです。」

というやる気の無さ。

はぁ。

やる気ネェ。

ちゃんと、飲食でとってますから、何でも出せるんだけどね。

大切なことは、目的や優先順位がきちんとしていることだ。

筋道がブレると、伝えたいことが、伝わらなくなる。

取材陣「文章はあまり入れられませんが、どうしても入れたいことはありますか?」

オジャラ「コンテンポラリーアートを中心に、洋画、立体、版画、書、陶芸など幅広く創作」

と書いて下さい。

と言うと、今度は、

取材陣「コンテンポラリーアートって何ですか?」

オジヤラ「ああ、コンテンポラリーアートをご存知ないんですよね。現代アートのことです。

現代アートという表現に変えましょうか」

取材陣「現代アートというのも、よく解らないんですけど」

という会話。

ローカル紙の読者に、現代アートを理解さすっていうのは、厳しい道だよね。うん。

オジャラ「あー、現代アートも、解らないんですよね。そうですよね。はい。

・・・・・。

あの、作品を見たときに、よく解らないって作品ありますよね。

あれが、現代アートです。(キッパリ)」

取材陣「確かに、良く解らない作品って見たことあります」

オジャラ「創作者は、『記憶に残る』というのをゴールに作品を作っています。

良く解らない作品(常識から逸脱した作品)は、記憶に残り易い場合もありますからね。

現代アートというのは、見る者のアートの常識から、どれだけズレた表現を作品にできるのかという創作活動なんです。」

取材陣「ああ、良く解らない作品が、現代アートなんですね」

アタシってば、伝道の天才かも。

「法華経を唱えれば、極楽浄土に行ける」

と解いた坊さんみたいな解り易さ。

ギャラリー経営は、アート伝道の第一歩だったのね。

今更納得。

オジャラ「創作というのは、人の心を動かすことなんです。

それを、どう動かすのか。どのぐらい、一般常識から離れた作品を作れるのか。

そこを目指している作家さんも存在するということです。」

この後、そう、まるで、棒の様に細長いカメラマン君に、写真を撮影してもらう。彼は、笑うときに、声を出さない。

アタシと、取材陣の方との会話を聞いては、声を出さずに笑っていた。喜怒哀楽表現が現代アート的な人だ。

アタシは、黄色い襟の女の前に立ち、

ピエロと、お気に入りの女の顔の絵を手に持つ。

何枚か撮影し、彼は、自分なりには、イイ写真と思ったのか、取材の方と相談し、撮影は終了した。

顔写真は嫌なんだけどなあ、、、、。お見せするほどの顔ではないのだよ。

まあいいかぁ。

記事の露出があると、30万世帯に配布だからね。

ホンネのところ顔は困るんだけど、でもまあ、記事にならないよりはいい。

優先順位を間違えてはいけない。

広告を出せば14万円が、記事になればタダ。

大切なことは、オジャラ&オシオッサ展が、紹介されることである。

おじゃら画廊

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