◆◆◆ 1317 ★ 女流・新伝統工芸展 ◆◆◆
2009.5.27 今日は、上野を攻略。女流へと向かう。 画壇は、一体何を目指しているんだろうと思いながら、力の入った作品群を拝見。 100号の絵が、この先どうなるのか、全く想定ができない。自分が、100号を描いたとしても、外に保管するしかない。 日本画に進んだ方がいいという、毅然とした描画を持つ方が何人かおり、もしくは、コンテンポラリーもある。 女性というくくりは、いつも強引だと思わないわけにはゆかない。 足立区在住の楠本先生の作品も拝見。 いつも、ご活躍、素晴らしいです。 それから、日本イラストレーター協会のメンバーで、アタシのパソコン教室の生徒でもある、置鮎早智枝さんの作品も拝見。 透明感のある美しいブルーの絵の具の中に、筆で描いた、躍動感のある書が走る。 この先、画家の幸せのために、画壇はいったいどんな関わり方をしてゆくんだろう。 着ていた着物が着崩れてしまい、トイレで直す。 着慣れてきても、少し油断すると、着物というのは、崩れてくるので困る。 絵と同じなのかもしれない。 |
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100号は、はじめから、買おうという筋じゃないからなあ。 うーむ。 これが、3号とか6号ぐらいなら、買いたいという人もいるんじゅないんだろうか。 そういう、小さい絵を、公募して販売したら、作家も画廊も、画壇もハッピーなんじゃないか。 が、今までそれをやってこなかったのには、何か理由があるんだろう。 どんな理由なのか、理解しないとなあ。 先には進めない。 気持ち的には、画壇を取り巻く、画材メーカーであるとか、額縁店、輸送業者などが、絵が大きいほうが儲かるって、物理的な理由もあるんじゃないかと思う。 画壇が運送業者や、指定額業者からリベートもらうっていうことは、十分に想定できるもの。 確かに、絵の力量は、大きい絵の方が、見分けがカンタンだ。 二科とか、日展みたいに、ヘタだなあという絵も、女流には見当たらない。 そういう意味では、一定以上のクオリティーを保っているということになり、審査員のセンセイ方は頑張っている画壇なんだと思う。 |
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そういえば、この前も100号なんかを描くっていう作家さんが来て、彼女は、二度目なんだけど、小さい絵も描く描くなどといいながら、また100号を描いているのだそうだ。 100号の絵が描け、画壇に入選したからといって、画家だということにはならない。 画壇というのも星の数ほどあるし、その入選のレベルというのは、画壇によって違うのである。 アタシも、大作の1つでも描いて、画壇の公募に出すべきなのか。 その絵の将来が、あとりえの庭の隅で風化することなのだと考えると、描くという意欲につながらない。 まあいいかぁ。 女流に出すことは、この先もないだろうし。 そのあと、六本木の新伝統工芸展に流れる。 伝統工芸展よりは、大分格調が落ちるような気がしたが、それなりに、伸びやかで、まとまった作品群である。 アタシの陶芸作品が、ここに入選することはないのだという事は理解できた。 でもまあ、ウチのギャラリーに置いておけば、安ければハケていくし、注文が入ったりもするので、次の作品を作る資金のため、作り続けることにはなると思う。 陶芸の土をギュっと握り締めると、もう、1つの造形になっていて、そのフォルムから、立体を作る。 土に逆らわない、小さな作品たちは、焼かれる日を待っている。塑像は、器よりも値段を高くしているから、そんなに売れたりもしないけど、デパートで買えば20万円ぐらいするのがフツーなのだ。 10分の一で買えるワケで、アートの常識を持ち合わせた人がくれば、きっと心が動くという作品も中にはある。 もちろん、全部ではないけど、ヨイ作品など、そんなに大量に完成したりもしないのだ。 |
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染色の部門も、おおらかで、カワイイ作品が並び、格調の高さだけが、創作ではないのだと思わされる。 その人らしい作品になっているとか、着物や帯、タペストリーになっても、楽しめる。 そういう工芸品が、近未来を支えてゆくはずであるし、そうでなくてはならない。 100号の油彩と比較して、直径90センチ程の花器などにはきっと需要があり、家元制の華道展などに引っ張りだこなのに違いないと思わされる。 華道というのは、花と器のコラボレーションであり、どちらも高そうという作品のポイントが高いのだ。 道楽なのであれば、それはそれで、経済活動に貢献しているわけで、ビジネスとしては悪くない。 アタシは、華道の展覧会が大好きなのだ。 それから、この前、とある勉強会に参加したときに、伝統工芸の支援をする、お役所の担当者さまに会ったんだけど、「工芸になれば、支援ができる」と話されていた。 芸術では、支援の対象にならないのだ。 工芸と芸術の違いは、ほんの僅かな差なのである。 どうやって、自分の道を、より、経済活動に結び付けられるのかも、考えなくては、作品を後世に残すことなどできないということになる。 |
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