◆◆◆ 1289 ★ にゃんこ大集合展 ◆◆◆

 

2008.3.22.更新

画廊は、留守番作家さんによって、お客様の入りが大きく変動する。

自分でも、ご案内を作って、一生懸命に配って歩いた人は、さすがに、集客できている。

手数料無しになったため、作家さんが直接グッズを売ったりしているのを管理できないという理由から、売れ具合はよく解らない。

完売している作家さんもいるし、売る予定のない作家さんもいて、事情というのは複雑である。

アタシの絵はといえば、作家さんの販売を邪魔してはいけないので、隅のほうに、そっと置いている。笑。

価格を聞かれることもない。

まあいい。アタシの作品は、アタシのファンの人が、アタシの展覧会に合わせて、きたときに、買って行くからである。

もっと、ガツガツ販売したほうがいいのかなと思いながら、まあ、絵がもう少しよくなれば、勝手に売れるだろうという気持ちもある。

実際に、今までもそうだったし、今手持ちの品は、売れた絵と比較すると、単純に落ちるというだけなのだ。

週末、仕事が一件きたのだが、入札で落ちてしまう。

2枚も描くんじゃなかったぜ。

でもまあ、作品を作るというのは、大切な作業である。

絵を描くことそのものが、仕事(本業)と言えなくも無い。

谷内六郎先生の図録の事を思い出す。

今回は、見たりはしなかったけど、ああいう、ステキな絵が描けるようになれば、仕事は落ちたりしないのだ。

今日は、中原淳一の番組を見る。

中原淳一。

絵は見たことある。

けど、どんな人だかは知らなかった。

特に、小さい頃から作っていたという人形展を若干19歳で、デパートで開いたというのには驚かされた。

当時は、洋画の勉強をし、画家を目指していたみたいだけど、転向したということになる。

まあ、洋画の目指す場所というのは、商業ベースから考えると、どうにもまだるっこい。

少女の友の表紙をはじめ、それいゆ創刊、ひまわり、ジュニアそれいゆ、女の部屋

などの雑誌編集も手がける。

最初の挿絵の仕事で設けた金で、自らが雑誌を創設するという気概。

昔、出版に関わる人というのは、そういう、自分の主張の実現という、出版の本質をマットウしていた。

今みたいに、売れればなんでもいい。

何が売れるのか解らないから、とりあえず、手当たり次第に。

みたいな感覚とは、次元が違うのよ。

雑誌の出版と一言でいうけど、カンタンな仕事ではない。

人を集め、記事や絵を描かせ、毎月、世に送り出すというのは、ハンパな仕事ではない。

おかげで、46歳で脳溢血かなんかで倒れて、73歳まで、死ぬまで闘病生活だったらしい。(テレビによれば)

46歳かぁ。

そんなに働く必要があったのだろうか。

とか、イロイロ考えてしまう。

出版に関して言わせてもらえば、今は、会社が大きくなりすぎてしまい、求められている本質的な部分が、消費にすり替わってしまっているのが残念だ。

昔の、デザイナーさんが出版したサイン入りの本などを読んでも、何ていう意識の高さなんだろうと思わないわけにはゆかなかった。

そうして、雑誌が集めた美少女は、映画のヒロインとなり、文筆家や写真家は、今は有名な人である。

雑誌により、多くの人が育てられるのだという良い例だと思う。

今だって、そういう雑誌が無いわけではない。発行部数を誤魔化して広告を取るのは、詐欺行為だと、指摘する者も存在しない。

いやまあ、成果が伴わないから、淘汰されてきているわけで、インターネットの時代には、雑誌やテレビが担ってきた人材の育成は、ネットの中で価値を持ってくるのかもしれないと思ったりもした。

中原淳一の番組を見て、なんで、ここまで考えているのか、あほらしくなり、考えるのをやめることにする。

オジャラよ、人の雑誌を賞賛している間に、自分の雑誌の編集を進めたらどうだ。

金銭的な不安というものは、前に進めない諸事情の原因である。

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