◆◆◆ 1271 ★ 最近何をしているのかという話 ◆◆◆

 

2008.1.28.更新

もう、二週間も更新していないというのはね。

絵は描いていない。

何をしているのかといえば、キモノグッズ作りにドップリ。

帯は、2個完成し、それから、茶道具づくり。

今までできたものといえば、

●棗、

●柄杓

●茶椀

失敗したものとして、

●茶杓

まだ作っていないもの

●袱紗

●香合

●水入れとか、その類。出来たもの以外全て。

茶の世界は奥深い。

随分前に、静岡筋から送っていただいた抹茶を、今日開けて、点ててみる。

おおっ。クリーミー。

ジーンズ帯、あらゆる人から不評

右は、爪皮の試作品その2

もう少し、高さを加えたい。

最初のより、少し長くしてみたが、近所のオババ様には、長すぎて、ゲタがはけないんじゃないかという文句。

もう少し高さがあれば、ハデに決められると思うけど。

というように、キモノグッズ作りと、茶道具作りに熱中。

アタシの場合、何かに熱中を始めると、熱が冷めるまでは、ずっと、そのモード。

去年は、コラージュを大量に作ったし、それは、いまもアトリエで、邪魔になっていて、早くも、捨てたいという気持ちでイッパイである。

今年は、経済的に少し改善したという理由から、法人会の新年会に参加。

当然にキモノ。

中古であろうと、高いモノは高い。

キモノの中古品相場というのは、安くて驚いた。

なんじゃ、その値段はぁぁぁぁ。

という安さ。

銅版画1枚で、キモノ20枚買えるって感じ。

はぁ。美術品と、日用品・衣類との違いってことなのかもね。

でもまあ、最初に販売できたときには、作家さんにも多少お金が入るのであれば、いいかぁとも思うし、専門誌によれば、仕入れ価格の9割乗せとかいう話もかいてある。

絵と同じなのかしらん。

人間というのは、知らないほうが幸せなことが多いのだと思わされた。

そうして、ぼんやりしていると、結局キモノに帯が合わない。もしくは、帯が(古いので)崩壊しつつあり、対策をとらなくてはならない。

もう作品は作らないのか?

茶道具の、小さい世界に凝縮された美というのはね、手に持たないと解らないの。

そうして、そういう小さな世界の美が、日本の美なのだとアタシは理解したのだ。

工芸に進むということではない。

日本の人は、櫛とか、キモノ、帯、茶椀の中に絵を描く文化なのだということに気づいたということである。

陶芸の原先生の作品を見ると、センセイの創作への深さを思い知らされる。

この前も、アタシの目指している世界と、陶工として、用の美を追求する者との違いについて話したばかりである。

大切なことは、作家さんが自分で決めた表現が、作品に現れているのかどうかという一点なのだ。

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