◆◆◆ 1270 ★ ヤマモトヨーコセンセイの番組を見る ◆◆◆
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2008.1.14.更新 ヤマモト容子センセイの番組を見るのは何年か振りである。 2番目のダンナとも離婚し、ひと回り大きくなったヨーコ先生。 人生も、作品も一発勝負であり、自分には、失敗という言葉は無いと語られていた。 潔い。 大学院時代に、ガレリアグラフィカでデビューされて、その後10年も、作品を作っては、個展を開いて作品を発表し続けたのだそうだ。 だんだんと、出版者の人が個展に足を運んでくれるようになって、ツグミの装丁を頼まれることになったのだとか。 ツグミは大ヒット。そうして、ヨーコセンセイもその装丁のイラストを描いたというので超有名になったというストーリー。 どこぞの女性誌にも手記を寄せていたけど、 「画廊で、個展を開いて発表するという繰り返しでは、画家がダメになる」 そう思い、書店を自分のギャラリーにすべく、装丁のイラストに力を入れるようになったのだと語られていた。 確かに、アタシも画廊主だというのに、別段、作家さんの絵が売れるということでもないし、人が沢山買いに来るということでもないという事実に驚かざるを得ない。 彼女であっても、10年も貧乏生活だったのかぁ。 アタシの絵が売れないのは仕方が無い。 |
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彼女は、テレビ番組の中で、 『アタシの版画を見て、版画をやってみたいという人が出れば、それでいい』 と話されていて、それは、アタシのことだよ。 と思わないわけにはゆかなかった。 たはは。 版画が良くならないということ以外、技術的な成長はあったと思う。 何か、描きたいモノがあるかといわれれば、俳句のシリーズは作ってみたいよなあ。 自分のじゃないよ。汗。 自分の俳句版画集というのも、カワイイかもね。 春にポツリぽつり オジャラ句 何かしらね。個人的には、花が咲き始めたイメージなんだけどね、雨を連想する人もいるかもしれないし、人やなにかだと思う人もいるかもね。ひとり言とかね。 そういう、余白というか、イメージを相手が勝手に構築できる余地を作ってあげるというのは、創作において、実は大切なことなのよ。 |
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ヨーコセンセイは、 『作品というのは、自分が作って、見た人が、何らかを感じて、二つがセットになって、やっと完成する』 と話されていた。 俳句も同じ。詠み手から離れた俳句は、読み手が、自分のイマジネーションで理解を進めて、1つの映像になるのである。 彼女は、『ああ、いいなあ』という絵では、ホンネの所、ダメなんだと。 『こいつは、尖がっているな、突っ張っているな』という気概が、(作品から)感じられるぐらいでないと、大きくはばたくことは無い。 とも話されていた。 全く同感。いいこと言うねえ。 銅版画、金銭的な事情で、少しお休みしていたけど、少し改善したら、またやりたいよなあ。 版画の中では、他の版画作成と比較すると、銅版画が一番楽しい。 銅版に版を作るという作業は、本当に自由なのだ。 |
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センセイは、地方の芸術の学校でも講師(教授?)もされているらしくて、学生さんたちに、 『作品は、作るだけでなく、見てもらえるように、作家自身が語らないとダメである』 と話されていた。 全くその通り。 オジャラよ、絵の方もっと頑張ろう。 最近、キモノの小物を作るのに忙しいからな。 長いこと、そういう作業から離れていたからね。 たまには、そういう、趣味の時間もいいかなと思う。 絵は沢山ありすぎて、もう描き進めないしな。 陶芸は、手洗いが外のため、寒いし。 右の絵は、よさげに見えるけど、南佳子のパクリだし。 あ゛あ゛。日記の更新などしていないで、ギャラリーのHP作らなきゃ。 |
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