◆◆◆ 1260 ★ ピカソ展 ◆◆◆

2008.12.12.更新

収集家のSさんが、ピカソのチケットが余っているというので頂くことにする。

今日は金曜日で八時まで展覧会が開かれる。

今日しかない。

乃木坂の国立新美術館は、物凄く混んでいた。

みんなピカソを見に来た人達で、会場は熱気に包まれている。

特に、ブロンズの彫刻については、おおいに心が動かされた。

アタシも、もう少し稼いで、ブロンズ彫刻に進みたい。

テラコッタ塑像は、造形を作りやすいのだけれども恒久性に欠ける。

そうして、油彩や素描などにも圧倒される。

自分の絵と並んだら、きっと、ピカソの絵だけからオーラが出るんだろうなあと思いながら、力の足りなさを再認識。

まあ、広い会場なので、全部の絵がよかったということでもない。

それでも、それなりのクオリティーで構成されていて、見たことも無い作品も多数。

こんなにサラサラと短時間で描かれた薄塗りでも、マーケットでは価値を維持し続けているというのは、作品そのものだけの力ではない。

レゾネ(作家の作品全てを収録した図録)の存在や、高級画材に描かれているのか(=作品の恒久性)、どの画廊から販売されたのか、誰が所有していた品なのかなど、美術品の価値を構成するいくつかの項目を、全てクリアしているということでもあるのだ。

マーケットで価格が安定している作品には、それなりの理由がある。

真贋が確認できるとか、欲しい人がいるとか、ちゃんと扱う画廊が存在しているとか、出所(前の所有者や、その人がどこからその作品を入手したのかなど)そういう話である。

それだって、誰かを信用してはいけない。

イロイロな話を聞くし、有名で価値がある程度確定している作家ほどニセも出回っているのだ。

だから、出所が確認できたり、保証書がついていたり、そういう話も大切にしなければならない。

モチロン、高額商品に関してはである。

日本の税制では20万円以下の作品は美術品とみなさないことになっている。笑。

アタシの持っている作品は、全部20万円以下なので、美術品としての課税対象以下ということになる。

自分の作品にいたっては、20万円以上という作品も少ないし。笑。

アタシの作品を、20万出して買う人がいるとも思えない。

まあそういう話になる。

そうして、荒れて、急いで描かれたピカソの雑な絵より、よく描けたアタシの絵の方がいいのもあるよなあと内心思いながら、価値というものは、そういう話でもないと思い知らされる。

画廊として、作家として、すべきことというのが、まだまだ沢山あるということになるのだろう。

最近は、イロイロなことを考えるのが面倒になってきている。

アートマーケットの研究は随分進んできたと自負してはいるが、その先に踏み込めないということになる。

特に、現代系の画廊などを見て歩いては、あまりの雑多な扱いに驚きを隠せない。

作家も、扱い者も、現代アートのことがちゃんと理解できていないんじゃないかという展覧会もないわけではない。

逆に、大きな画壇であっても、ああ、この人だけは、現代系の人だなと思ったりする出会いもある。

創作者の意図は、個々に違うということになる。

だが、それは、結果に現れていないと意味がないのだ。見る側は、結果でしか判断しないということである。

残り30分のところでサントリー美術館に流れる。

閉館間際で、急いで作品を見る。

閉館まで、猫のブロンズ像を眺め回して、この日は終わる。

行けてヨカッタよ。

気持ちの整理というのはまだつかないが、やっぱり、ピカソの素描は素晴らしい。

結果の安定感と、その絵から出て来るオーラのような力について、またゆっくりと考えたい。

おじゃら画廊

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