◆◆◆ 1255 ★ 古着を頂いた話 ◆◆◆
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2008.12.4.更新 前号のバイト先のバイトの時には、いつも古着を着用していた。 今まで持っていた服というのは絵の具だらけだし、服を買うという予算もなければ、執着も無くなっている。 知人が、服の処分に困っていると伺い、頂くことにする。 服は何人かの人が元払いで送ってくださり、アタシは、真新しい服を大量に手に入れた。 ちとレトロな風貌は止むを得ない。 別に、ノウミソを貸しに行くだけだから、服はどんなものでも構わない。 バイト先のお嬢さん方には、ちと驚かれたかな。 20年とか40年とか前の服っぽいもんなあ。笑。 良い服なので、ボロボロということではない。 どちらにしたって、そんな一ヶ月が過ぎ、アルバイトも終わった頃、今度は、着物が大量に届く。 頂いた着物は、古着店に売ったり、掛け軸の一部にしようと思っていたのだが、全部大島紬だったため、計画は変更される。 僅かな現金のために、着物を売るというよりは、自分で着て、画廊の格調をアップさせるという方向にである。 |
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我ながら、画廊の女将なのに、どの作家さんよりもボロボロである。嫌まあ、別段、作家さんは、アタシが何かを作っている情景には慣れている。 塗料が、ペンキやカシューということもあり、いつも、汚れた服を着ているのも仕方がない。 でもまあ、外出するときぐらい、もう少し何とかならないのかとは、以前から思ってはいたのである。 アタシは、高校時代、布地店でバイトをしていたのだが、そこには呉服コーナーもあり、無料の着付け教室が開かれていた。 日本人なので、一人で着れるようになりたいと思い、お教室に通ったことがあった。 まだ、着こなしが慣れていないが、少し練習すれば、お太鼓ぐらいは着れるはずなのだ。 最大の難関は、髪型だよなあ。 長さ的には、結い上げるという程でもないし、白髪だらけでみすぼらしいよなあ。 オットにも、最近、髪ぐらい染めるように言われたばかりである。 |
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送られてきたのは、着物や羽織、帯ばかりだったので、その方に連絡を取り、「草履はなかったのか」 などと、図図しい話を持ちかける。 アタシが持っている草履は、成人式のときに誂えてもらった白い草履一つきりで、大島を着るには、底が高すぎるのだ。 あんなに着物を持っていたのであれば、草履やバックもゼッタイに高いのを持っていたはずなのだ。 別に、安い草履を買ってもいいのだが、あまりにもつりあわないと、それはそれで違和感がある。 バランスというのは大切なのね。 それから、アトリエを買ったときに、確か、草履を一つ捨てずにいたのを思い出し、それを取りに行く。 頂いた帯は、どれも汚れていて、きっと随分着たんだなあと思わされた。 紺の大島には白目の帯が合うと思うので、手持ちのバティックなどを張り合わせ、帯を仕立て直して着ようと思う。 帯を解体したのは初めてだが、まあ、作れなくはない。去年の夏も、ユカタ用の帯を作ったしな。 布地店でバイトをしていたときに、売り場のお姉さんが、「袖がつけば、何でも洋服だ」 などと教えて下さったことを思い出した。 |
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茶道具一式ももらい物という茶人である。 女将服が頂いた着物というのもアリだよなあ。 こうなる運命だったのかもしれないよなあ。 ペンキ塗りは禁止されるのだろうか。 この先、画廊業に専念するという決意なのか? というように、着物を着る前提で話は進んでいるが、ビミョーに面倒になってくる。 まだ一回も着ていないのにだよ。 あ゛あ゛。 そういえば、高橋さんとか、置鮎さん、元気かな。いつも、イベントのときにはお着物でいらっしゃって、ステキだなと思っていたけどな。ああなるってことなんだろうか? 女には、そういう時期が訪れるってことみたい。笑。 まあいい、まず、帯を作り、草履を調達し、着物が汚れないように、部屋を掃除。 実行に移されるのはそれからである。 あまりにも壮大な計画のため、実施時期は未定である。 が、いつか、美人女将になったあかつきには、絵の値段も倍にしてやるぜ。キッパリ。→価格設定というのは奥深い。 着物をお送りくださった方、ありがとうございました。 メイドデーを設けようと思っていましたが、美人女将デー(自称)に変更しようと思います。万難乗り越えた後、最後に残された問題は、顔をどうするかです。笑。 |
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