◆◆◆ 1254 ★ 書の話 ◆◆◆

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2008.12.4.更新

先日、バイト先のアートディレクターだったNさんが、ギャラリーを訪ねて下さった。

彼は、北千住から近くに住んでいるということもあり、書道教室の帰りに、足を運んで下さったのである。

オジャラ「書道って、何年ぐらい習っていらっしゃるんですか?」

Nさん「7年ぐらいですかね」

私は作品を一枚見せてもらう。

バイトの最終日、Nさんにお願いして、バイト先の壁にかけられていた、モリサワという書体メーカーのカレンダーをもらってきた。

中に、「豊臣秀吉が、天下統一の前日に、母に送った手紙」

というのが入っていてあまりにも素晴らしい書であったため、額にいれてギャラリーに飾りたかったからである。

持ち帰り、よく眺めると、池坊の家元の書や、千利休の書なども入っていて、アタシはホクホクとした。

そのカレンダーを見ながら、Nさんと『書』の話で盛り上がる。

オジャラ「芸術作品というのは、瞬間表現なんです。

この、豊臣秀吉の書には、書の全てが凝縮されています。」

文字のかすれや、全体の陰影、余白の躍動感などから、天下統一前夜という特別な日の興奮が伝わってくる。

解説によれば、母を気遣う秀吉の優しさなども記されており、彼の人柄をよく表している作品なのだそうだ。

オジャラ「豊臣秀吉の書なんて、縁起がいいじゃないですか。それにね、武将好きとか、会社社長みたいな人からも好まれるアイテムなんですよ。」

豊臣秀吉ゆかりの品を持ちたい人は、大量に存在するということになる。

そういう、人気アイテムにならないといけないわけだよね。笑。

知名度と価格の関連性について研究したい場合には、戦国武将のアイテムの値段と持ち主を調べると良いと思う。

頂いたカレンダーは4月から12月まで残されており、1月から3月は捨てられていた。

巻末の解説を読むと、明智光秀の書というのも1月から3月までの中に含まれていたらしい。

捨てられてしまったなんて、信じられないぜ。機会があったら、是非見てみたい。

それから、ウチのギャラリーに展示している、善養寺さんの書の習作を眺めて、彼が2時間余りの間に、書を物凄く進化させた過程について説明をする。

オジヤラ「善養寺さんは、ブックの装丁やデザイン、イラストなんかを描かれるデザイナーさんなんですけどね、ウチにきて、書の練習をしていったんですよ。

こんなに短期間の間に、こんなに自由に書を進化させられるなんて、アタシもビックリして、ウチのゴミバコに捨ててあったんで、拾って、本に仕立てたんですよね。

バラノ助ちゃんも、このテキストを見て、感激して帰っていったことを思い出した。

書の自由さを伝えるのには、なかなか素晴らしいテキストだからね。善養寺さん、今度、出版しようか?みたいな世界。

伺えば、Nさんは、7年間、先生がお手本を下さり、それを写すというのを繰り返していたのだそう。

オジャラ「7年も臨書を続けていて、何も(変だとは)思わなかったんですか?」

それから、ヨミウリ書法展の理事の部屋の書を見たときに、後ずさりするほどの波動を受け、心が動かされたこと。そのときに、「ああ、これが書というものか」と思ったことなんかをお話する。

まあ、ウチのギャラリーみたいに、来た人に筆を作らせて、外で練習させる書道教室も例はない。

いきなり創作から入るし、手本もない。

文字なんて、誰だって書けるのだ。

書家を目指しているということでもないから、別に手本を写す必要がない。

アタシは、そのあと、縮墨の作り方を教える。

それから、筆も是非作りたいというので、毛糸筆を二人で作ってみる。

オジャラ「書いている途中で壊れたりしなければいいんです。基本的に使い捨てにしますからね、何枚か書いているときに、壊れない程度でいいんですよ」

とか、解ったような助言をし、彼も、何十万もする羊毛の筆で書くのと、大差ない可能性があるという筋には、おおいに納得をしていたようだった。

それから、まず、筆に水をつけて、道路で、ストロークや跳ね、カスレの練習をすること。

紙に書くときには、紙が破れないように、気を配ることぐらいを話す。

なかなか濃い時間となった。

毛糸筆の信者がまた一人増えたということになる。

表現というものは、自由でなければならない。

スタートが、模写や臨書からスタートするのを私は否定したりはしない。

が、実際に売買されている書が、創作者の筆跡を重視しているという事実を知れば、文字というものであっても、自分の文字にならなければならないということも必至なのだ。

もし、書を教えるのであれば、優れた作品を鑑賞することも併せて教えるべきだと思う。

私は、自分が5年もの間、ありとあらゆる展示を見て歩き、その中には書や陶芸、活け花も含まれていたことを話す。

退屈だったけど、ムダではなかったということになる。

彼はデザイナーさんなので、アタシが、自分の絵の力をどこまで上げればいいのかを調べるために、売れている絵を大量に見て歩いたことも話す。

オジャラ「どこまで自分の絵の完成度を上げなければならないのかが解らなければ、絵の結果はよくなっていきませんからね」

Nさんは、現場でご活躍の方なので、クオリティーをどうあげていくのかという所で大いに理解を深め、これからきっと、書の展覧会を見て歩くことになるのだと思う。

臨書一筋7年の人には、ちと刺激が強すぎたかなあ。

*臨書とは、手本と全く同じように文字を書き写す練習のことです。

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