◆◆◆ 1239 ★ 油彩作成 ◆◆◆
銅板画作田富幸センセイのサイトはこちら/
今、文房堂のアートスクールで小口木版を教えてくださっている長島 充センセイのサイトができました。
2008.10.18.更新 バリバリと油彩を作り進む。 売れるバラというのは、実は、ごく一部なのだ。 嫌まあ、アタシも、ヘタなのを勧めたりできない性分で、商売にはホントウに向いていないのだと思うことが多い。 銀座で、ヨイ作品を沢山見ていて、自分の創作の力量以上に目が肥えているのだから仕方が無い。 そういう理由から、ムリに売ったりすることもないし、自分の中でもイマイチという作品は、正直に、 『この作品はイマイチなので、もう少し後でまた来て下さい』 などと言ったりもしてしまうのだ。 性格なので仕方が無い。 そういう、正直な性格は、絵に現れると信じているし、そういう、良い気が流れてくる絵になるほうが、絵のためだと思っている。 |
|
さすがにこの赤は高いだけの美しさ。 今まで高い絵の具というのは使ったことが無かったけど、たまたま安売りの絵の具の中に混じっていて、惜しげもなく使う。 買値が安かったんだから、今までの絵の具と同じ扱いになるのは仕方が無い。 商いというのは、仕入れ値の節約と、販売価格の上乗せという両方の努力の結果である。 絵の場合、その中に、別な付加価値が入る。 それは、絵の良さであるとか、作家の知名度などである。 単純な物販などに比べて解りにくい構造ではある。 それでも、作品が良ければ、みんな、いつかは一枚欲しいという気持ちになってくる。 そういう絵でなければ、光は当たらない。 この前、アンドレアの絵が出てきたので、悪くはなかったけど、売れることもないと思いなおし、別な作品に描きかえる。 まあ、毎日がそういう作業の繰り返しということになり、カンバスはどんどんと厚塗りになり、三岸節子の絵に近づく日も近い。 最近では、彼女の図録を見ても、『ああ、アタシの絵の方が厚塗りだ』などという作品すら出てきて、別に笑うところではないが、彼女の気持ちが少し解る気がした。 |
|
創作というのは、厚塗りを自慢することではない。 化粧と同じように、厚く塗っても、ある程度の透明感や美しさという結果が伴わなければ、塗らないほうがマシである。 |
|
こちらの絵は、随分と前に、グチャグチャになってしまった汚い絵であった。 なんとなく、顔にしてみたら、顔のようになる。 黄色い水玉をどうしようと思案しながらも、 きっと、これは残すと思う。 郵便局に飾ったりしたら、また苦情が殺到するに違いない。 普通の絵を出すと、今度は、あれはアタシの作品なのかと、確認する人が多発するらしい。 はぁ。 捨てがたい拠点である。 作家さんは、皆さん、地元の郵便局に絵を飾らせてもらいましょう。 そうして、元永センセイの映像の中で、彼が 『こんなのは作品じゃない』ぐらいの評価をもらう(見た人のドギモを抜くような、新しい表現の)作品でないと、後世に残らない。 という言葉を思い出し、少し勇気が出る。 知人が、アナタの仕事は、作れば作るほど、作品が良くなってゆくはずだから、それが救いだよね。 と言ってくれたことも思い出して、そうして、自分の作品が、WEBの記録から漏れないように、細心の注意を払っている。 |
|
Established 1998 Rica's Bar WEB SITE & Since 2003 Atelier Ojara. |